ニッケイ新聞 2007年9月18日付け
万葉集の花は梅。それが古今和歌集になると桜の歌が主流を占めるようになる。恐らく―万葉集の頃は中国文化の影響が強かったからだと思われるが、古今集が編集された平安時代から桜の美が重く見られるようになったらしい。日本の国花も「さくら」であり、あれは「ヤマザクラ」だが、気候のせいかサンパウロ州では少ない▼それが南伯のラ―モス移住地では9月初旬に満開であった。60ヘクタ―ルかの山に3000本のヤマザクラが植えられ万朶の花が咲き誇る勝景は夢見るような「美」であったろう。あの移住地はネクタリ―ナで始まり、後沢博士らの指導による「富士」の成功で有名になった。あのリンゴを初めて食べたときの「香り」と「味」そして「甘さ」に驚き、青森県に旅行した気分だった▼ラ―モスの創設には土地の選定などを巡り数え切れないほどの困難があった。この間の経緯については故杉谷茂一氏の私家版に詳しく、ポ総領事館の初代総領事だった藤本正雄氏と2代目の近藤四郎氏や海協連の峰村?次長らの活躍ぶりが記されている。勿論、輸送の命綱である道路事情も悪い。これは何処の移住地でも同じでラ―モスに限らないけれども、やっと舗装道路が完成したし、多くの移民らが喜びに沸いた▼あすこの入植祭は確か1964年かだったが、サ紙のN記者が現地に向かった。帰聖しての自慢は、現地のTVかラジオの取材を受け「(見事な)スペイン語で応じたよ」と笑顔で語り「(でも―)山奥だよな」もあった。今も筆勢鋭く論陣を張る現役だが、ラ―モスも最近は日本の梨が成功し桜もあるので将来が楽しい。 (遯)