コンパス・ローズ《註=「風のローズ」羅針盤の意》。モッカ区の高台。この高台にはサンパウロ中の風が住んでいる。
オラトリオ(祭壇)街。街でもなく、祭壇もない長い上り坂。疲れて足を引きずってしまう。登ろうか、登るまいか・・・いや、やめとこうか・・・。とにかく行こう・・・登った。これでOKだ・・・。サンパウロのハンガリー人の街。
日曜日。空は青く、土は乾いている。空に、地表に、風が吹く。
風のローズ。コンパス・ローズ。
夕焼けを背に死にそうに車のタイヤがきしむ。私のタバコの火は高台をゆさぶる風に吸いこまれて一分ももたない。電柱から電柱へつながる電線が、フラダンスやラインダンスを無表情に踊っている。
風のローズ。コンパス・ローズ。サンパウロのハンガリー人の街・・・。サンパウロの街なのか? よくわからない・・・。サンパウロはずっと遠いところにあるような気がする。この茶色の高台からはるか遠くに、巨大な煙突の工場やガスタンクの群がある。中央の池に水蛇がすむという緑の公園のむこうに・・・高い立方体が遠くに霞んでみえる。サンパウロの街は人と家で巨大に膨らんでいる。さまざまな家とさまざまな人種。コスモポリスである。世界の縮図。観てみよう。考えてみよう。
――あそこ。そここそあらゆる国の労働者が根を下ろしたところだ。まったく異なった人種、文化に囚われず、そして地理的距離に囚われず。友人であってもなくても関係なく、みんな、ぜーんぶ根を下ろしたところだ。にもかかわらずハーモニーに満ち、バランスを保ち、平等である。労働のもたらす奇跡。ハーモニー、バランス、異なるものから生まれた均等性。
風のローズ、吹けよ吹け。それに抗えずに私の思考もいっしょに飛んだ。困ったもんだ。とにかく、ここに思考を捕まえて、つなぎとめなければ・・・サンパウロのハンガリー人の街。
コンパス・ローズ。
ローズ・・・そう、ローズだ。金色に耀く花粉をまとって部屋に現れた娘。炎の色のクレープのキモノをまとい、小柄で白い。しゃくれた顎、青く大きく見張られた瞳(ダヌビオ川の青などという必要もないだろう)あかるく輝く栗色のざっくり切られた髪。白い丈夫な短い歯をおおう唇・・・歯は・・・幼いあどけなさをのこしたままによどむ笑顔。ブダペストの夜(ポール・モーラン《註=Paul Morand、フランスの小説家・詩人。コスモポリタニズムに新感覚の作品を書いた》よ、なぜ一緒にここに来て、もう少し書かないんだ?)を語ろう。(皮肉っぽく)語る? 何を?(含み笑い) フッ、フッ、フッ。
――ここにはなんでもあるの? 電気、ガス。水道?
――なんでも、ありますよ。愚かなロバ(オバカサン)までもね
はちきれそうな腕はローズ色。
ファランドールを踊るとき
何でオレは彼女と踊りたいんだろう
もし、だれかが撃たれても
そのまま踊り続けなければならないのに
はちきれそうな腕のその先は、皮肉にも名前と同じローズ色にぬられたつめの指。縄からときはなたれて、わが意を得たりと幸せそうな表情で、日曜の街角(ジアス・レメ街)をゆくロバを指す。彼女はだまされている。電気も、ガスも、水道もないことが分かっていないんだ。女とは哀しいものだ・・・。
ファランドールを踊るとき
どうして一緒に踊りたいんだろう
ファランドール《註=フランス・プロバンス地方の踊り》はここからちかい街角のタバコとガラナを売っている店の隣。
もし、だれかが撃たれても…(つづく)
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