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これからも防長人の開拓精神で=山口県人会80周年祝う=国内外から6百人が参集=二井知事「県民の誇り」

2007年8月29日付け

 防長人の開拓精神でこれからも――。ブラジル山口県人会(平中信行会長)の創立八十周年式典が二十六日、サンパウロ市の客家センターで開かれた。母県からは二井関成知事、松永卓県議会副議長など約七十人の慶祝団が来伯。飯星ワルテル連議、西林万寿夫在聖総領事も来賓として訪れた。二十五日に開かれた在外山口県人世界大会出席のため来聖中の五カ国六県人会の関係者約百人とあわせ、六百人以上が集い、節目の年を祝った。
 一九二七年に同県出身の多羅間鉄輔元バウルー領事らにより「ブラジル防長人会」として発足した山口県人会。その以前の二二年には、サンパウロ州レジストロ在住の県人による県人会が作られている。
 戦中の活動休止期間を経て、五五年、母県の要請に応じて活動を再開し、現在に至る。
 山口県からブラジルへの移住は一九〇八年の笠戸丸移民に始まり、戦前に五千六百五十六人、戦後に二千百二十三人が移住した。現在の県人会員は約六百家族で約三千人。
 あいさつに立った平中会長は、先人の苦労を経て子弟が社会のあらゆる分野で活躍する現状を紹介するとともに、世代を超え一致協力して式典開催にいたった喜びを強調。さらに「吉田松陰から始まる山口県人の旺盛な開拓精神で、これからもブラジル社会へ貢献し、郷土山口のため、県人会のため邁進していきたい」と決意を表した。
 二井県知事は、九七年の七十周年以来、二度目の来伯。今回の訪問では、戦後県出身者が多く移住し、「山口村」とも呼ばれる南マット・グロッソ州のバルゼア・アレグレ移住地を現職知事として初めて訪れた。
 式典で知事は、県人・子弟の活躍を「県民の誇り」と称賛。バルゼア訪問と現地在住者との懇談を振り返り、「皆さん言葉に尽くせない労苦を克服し、今も変わらぬ故郷への思いを持ち続けている。その感動を胸に刻んで帰ってきました」と報告した。そして「この式典が県人会が未来へ向けた一歩を踏み出す契機となり、来年の百周年、日伯交流年事業を通じて一層交流が深まるよう願います」と祝辞を述べた。
 松永副議長が島田明議長の祝辞を代読。西林万寿夫総領事は八十年の歴史に敬意を表すとともに、ブラジル各都市との姉妹提携、留学・研修などによる後継者育成に同会が果たした役割を称えた。また先日来伯した麻生前外相が話した言葉「日系人が培った善意の含み資産」を引用し、「この資産を活用する上で、県人会の役割はますます重要になってくると思う」と将来への期待を表した。
 この日は、ジョゼ・セーラサンパウロ州知事、山口出身の安部晋三首相など、日伯の政治家、関係者からもメッセージが寄せられた。
 知事から八十歳以上の高齢者百五十人と八人の県人会功労者へ表彰状を授与。高齢者を代表して宮本信雄さん(95)、功労者を代表して西村武人前会長がそれぞれ謝辞を返した。
 同県が今までに派遣した留学・研修生は九十二人。伊藤みかクリスチーナさん、新垣レナットさん、川頭幸枝さんが代表して謝辞。「これからも日伯の掛け橋になるようがんばりたい」と話した。
 重岡康人元会長の発声で万歳三唱。知事、議長、平中会長で鏡割りが行われ、参加者は郷土の酒「五橋」の味を楽しんだ。祝賀会では日本の訪問団、県人会の人達により、琴・三味線演奏や、山口の民謡「男なら」などが披露され、出席者は食事を囲み親睦を深めた。
 この日は日本、米州五カ国の訪問団のほか、国内では南マット・グロッソ州など遠方からも、県人・子弟が節目の日に集った。
 「世界大会と合わせ、絶対に成功させたいという気持ちでやってきました」―会長は賑わう祝賀会場で安堵の様子を見せ、「これからも県人会と母県とをつないでいきたい」と表情を引き締めていた。