2007年8月18日付け
ブラジルの空に、風車の虹を――。来年に控えた日伯交流年事業の一つとして、プロジェクト「逢いたくば」の準備が進んでいる。写真家の八木仁志さん(ヴィーナスジャパン代表、日本写真家協会会員)が撮影したパラナ州の移住者・日系人の写真展とあわせ、風車(かざぐるま)で、ローランジアのパラナ百周年式典会場に虹色のアーチをかける構想だ。事業はこれに音楽関係のイベントを加えた三本柱になるという。先月来伯した両氏にプロジェクトの概要を聞いた。
「逢いたくば」のプロジェクトは、八木さんと、同じく日本で活動するペーパーアーティストの広井敏通さんが中心となって進めているもの。
八木さんがパラナで撮影した同地日系社会の人々の写真百枚を展示するとともに、竹を組み合わせたアーチを、日伯両国の子供たちが作った風車で飾る。アーチは全長三十メートル。風車の数は一万個以上になる計画だ。
はじまりは、八木さんが昨年六月に神奈川県で開いた同名の写真展「ブラジル移民百年の肖像―逢いたくば」。これに広井さんのアイデアが加わり、プロジェクトが始動した。
八木さんが初めてブラジルを訪れたのが三年前。ブラジル生まれの母親が育った土地を見るとともに、デカセギで訪日中に亡くなった従兄弟の墓参をすることが目的だったという。
その時に、来年が日本移民百周年であること、当時存命だった笠戸丸移民の中川トミさんのことを知り、〇六年二月に再び来伯。
その後も、ブラジル日本会議理事長の小森広さんの協力を得て、パラナ日系社会の人々を夫婦、家族を中心に撮影し、帰国後、写真展を開催した。
撮影の時、笑顔を撮ろうとしたが、なぜかトミさんは泣いていたという。トミさんは同年十月に死去。八木さんの撮影した写真が、日本の写真家によるものとしては最後になった。
トミさんの撮影を終え、ホテルに戻った八木さん。夕方窓の外を見ると、ロンドリーナの空に一瞬大きな虹がかかった。地元の人には「『ロンドリーナに虹は出ない』と言われたんですが」。後にクリチーバでその話をすると、大崎千代枝さんという女性が八木さんに一つの句を送った。
「逢いたくば渡りてこいよ虹の橋」――この句から写真展の名前が生まれた。そして広井さんと知り合い、今回のプロジェクトへとつながっている。
写真展会場を風車のモニュメントで飾る試みは、昨年十一月に横浜で開催されたブラジル文化イベント「フェスタ・アレグリア・ブラジル」で初めて実施。
風車の材料は雨でも大丈夫なようにポリプロピレン樹脂製。パラナ式典会場のアーチを飾る風車は、日本、ブラジルの国旗、桜の花びらをあしらった三種類を用意し、日本とブラジル双方で製作する計画だ。
パラナの式典関係者もプロジェクトに賛同、正式な協力依頼書も届いており、虹のアーチは実現に向け動きつつある。
プロジェクトが具体化すれば、日本から材料を送り、参加を呼びかけていくという。「自分が参加すれば、子供たちも作品を見にいきたくなる。家族で一緒に会場にいけば、お父さん、お母さんが日本移民の歴史を子供たちに話すきっかけになるのでは」と広井さんは期待を寄せる。
八木さんは今回の滞在中、これまで八十六人だった写真の人たちを百人にするため、各地で撮影。
パラナ日系社会の人々をとらえた八木さんの作品には、夫婦・家族の肖像が多い。写真展の来場者からは「自分たちも仲良くしなきゃと思った」という感想が寄せられたという。同展は来年、東京など日本国内三都市で開かれることがすでに決まっている。
同プロジェクトは今年四月に日伯交流年・移民百周年の事業として認定されたばかり。スポンサー探しもこれからだ。
現時点では来年六月のパラナ百周年式典会場のほか、クリチーバでも実施が検討されている。
さらに音楽に関するイベントを加え、写真と風車、音楽の三つが一体となったプロジェクトを目指すという。「日本人が忘れかけている真心を伝えたい」と話す八木さん。「いいものをやりたいですね」と実現への意気込みを語った。
プロジェクトのホームページはwww.aitakuba.com