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コラム 樹海

2007年8月9日付け

 戦後に「駅弁大学」という流行語があった。確か―昭和24年の学制改革で政府が「1県1国立大学」を打ち出し大学を乱立したのをうけ毒舌の評論家・大宅壮一が「駅弁あるところ大学あり」と評したのが始まりだそうだが、まったくもって「大学」も安くなったものである。これ以後も有象無象が大学を設立しいまや700大学を超えるとかの賑々しさだ▼教育事業は儲かるものらしく、理念や総論はどうにでもなるし、かなりいかがわしい「大学」もいっぱいあり、学力も能力も高くはない。そんなこともあってか―地方の大学では「本校は―」と宣伝をしても、受験生が集まらず定員割れが急増している。地方の私立大学の3割超が学生不足で大いに困り経営不振に陥っているところもの噂がしきりなのである▼ところが―名門には現役や浪人が押し寄せる。受験戦争は激しくも厳しく、いかに点数を取るかと鎬を削る。高校も、有名大学にどれだけ多く合格したかが問われるし、この実績がなければ世間的な評価は低い。従って―高校の教師らも見得や外聞をかなぐり捨てて勉学に励む。と、ここまでは良い。ところが、最近は優秀な生徒に数多くの有名大学を受験させ合格させるという汚い手が横行している▼この合格水増しは、大阪、京都など20校に及んでいるのだから、もう話にもならぬ。しかも高校が受験料を払い、生徒に激励金まで支払っていた。この悪しき事件が露見すると、ある高校の校長は辞職したが、そんなことで罪の償いはできまい。受験地獄が招いた悲喜劇だけれども、受験は正々堂々とである。 (遯)