2007年7月20日付け
【エスタード・デ・サンパウロ紙十九日】検察庁サンパウロ市支部は十八日、ブラジル航空史上未曾有という惨事の犠牲者が地上の六人を合わせ一九二人以上に上ると発表し、原因解明まで同空港の閉鎖を連邦地裁サンパウロ市支部に求めた。空港閉鎖は、乗客と空港職員、付近住民の安全対策であると説明。TAM航空は事故機の乗客が、前日発表の一七六人ではなく、一八六人だと訂正した。崩壊類焼したTAM物流センター内の犠牲者数は、確認されていない。排水加工が終わっていない滑走路の使用許可で、航空会社が圧力をかけた疑惑がある。
ルーラ大統領は、事故の最高責任者としてペレイラ空港整備公団(Infraero)総裁を不適格とし、ピーレス国防相を権限はく奪で降格するらしい。二〇〇六年九月のGOL航空のボーイングとレガシー小型機の接触以来、国内航空委員会(CONAC)は、自閉症患者のように同じことの繰り返しだという。
これから航空管理の総責任者として、サイトウ空軍総司令官を指名するらしい。国防相は名目のみで留任し、ほとぼりの冷めたころ更迭らしい。外紙がブラジルは原因究明まで真剣だが、その後は誰を責任者に供えるかに没頭し、事故の未然防止に向けた反省はないと皮肉った。
空軍はビデオ・テープの記録に基づき、滑走路の末端四〇〇メートル前方での速度に注目した。濡れた路面が原因ではないと、空軍はみている。同じ滑走路で雨天の中、一〇〇便以上が着陸をしている。
パイロットは空軍のベテラン操縦士であり、天候が原因で事故を起こすようなことはないという。機は最終地点で左向きになったことで、右ブレーキまたは右軸足の故障と見る。
ブラック・ボックスは二十三日に米国へ送り、エンジン・トラブルか人為ミスかが判明する。濡れた路面で機の停止を不可能と見たパイロットが離陸を試みたが、失敗したとみる説もある。最終結果が出るのは、十カ月後とされる。
市街地の中にある空港はパイロットから敬遠されていたが、商業上の立地条件がよく、利用客が集中した。同空港は航空ビジネスで最上のヒレ肉だ。しかし、最も離着陸が多いコンゴーニャス空港を閉鎖するには、クンビッカ空港またはヴィラ・コッポス空港に新滑走路を増設するため、四〇億レアルが必要になる。
サンパウロ市へやってくる人の八五%は、観光とビジネス目的である。またその七〇%は、コンゴーニャス空港を利用する。サンパウロ市でビジネスのイベントは、年間九万回ある。そして八二億レアルの取引が行われる。惨事の犠牲者には気の毒だが、事故を理由に同空港の閉鎖は筋が通らないとビジネス関係者はいう。
コンゴーニャス空港が、国際航空機関(IFATCA)から危険な空港のレッテルを貼られた。同機関は、ブラジル政府が人命を弄んでいると批判。政府は全てを知っていたのに、何ら対策を施さなかったという。航空管理や安全管理の不在、システムの研究不足、体質的欠陥などを原因として指摘した。
犠牲者のほとんどは、焼死ではなく有毒ガスの吸引死と鑑定された。火傷を負ったときは、意識がなかったという。犠牲者のうち一四六遺体は、法医学研究所(IML)へ送られた。一二遺体は遺族が身元確認、五遺体は遺族に引き渡された。