2007年6月26日付け
ノロエステはシニアボランティアを派遣するに値しないのか?――。「もう送らないで」。こんな嘆願書が国際協力機構(JICA)の緒方貞子理事長宛に今年四月二十五日付けで送られた。差出人は二年の任期を終え、今月二十五日に帰国するJICAシニアボランティアのNさん。派遣先機関であるノロエステ日本語普及会(白石一資会長)の受け入れ態勢の不手際、勤務先だったアラサツーバ日本語モデル校の教師らとの軋轢から、精神的苦痛を受けたとの内容だ。白石会長はニッケイ新聞の取材に「もう帰る人ですから…」と言葉を濁す。関係者との調整に数度現地を訪れたJICAブラジル事務所の小林正博所長は、「受け入れ機関の問題はないと判断した」と今年十月に次期派遣も決まっていると話し、「シニア自身も反省すべき部分があるのでは」とコメントしている。
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◆旅行社とのトラブル
Nシニアは昨年七月にサンパウロの日系旅行社を通し、パンタナールに旅行したさい二度落馬、〃全身打撲〃を負った、という。JICAによれば、旅行中の危険の伴う活動は禁止しているという。
ガイドから病院に行くことを勧められたが、最寄りの町クイアバまで往復五時間かかること、その後の旅行予定もあることから、これを断っている。
その後は、サルバドールに「杖をつきながら」一週間訪問している。
旅行後、旅行会社にクレーム、治療費百五十レアルを受け取ったが、「誠意がない。見舞金は貰ってない」と主張。
Nさんは総領事館にも〃邦人保護〃の立場から、連絡を取ったが、「関知しない」との返答だったという。
「一年経った現在も連絡があり非常に執拗。はっきりいって悪質な恐喝」と旅行会社の担当者は怒りをぶちまける。
「ガイドから乗馬の指導はなかった。帰国後は『地球の歩き方』に投書したい」と話している。
◆地元教師らとの軋轢
着任後、地元教師から、「日本語検定試験一級」対策指導の要請を受けたが、生徒も含めた授業内容だったため、Nさんは「現地教師の指導」という任務外にあたること、普及会傘下校の視察前だったことから断っている。これを境に両者の溝は一気に深まる。
それ以後、「郵便物隠匿や地元教師からと思われる無言電話などのストーカー行為(〇五年八月~十一月)があった」と話し、地元教師らからの〃いじめ〃があったと証言する。
Nさんは早期の帰国を要請、〇六年四月に小林所長が現地で懇談を開き、一旦は受理されたが、「プロミッソンやバウルーの教師から留任を請う声もあり」結局は留まった。
関係回復のため、「仲直りしたい」とモデル校責任者の女性教師に話したところ、「置いて下さいでしょ」と撥ね付けられ、離任まであいさつ以外の言葉を交わさなかったようだ。
その後、モデル校の鍵返却を求められ、約一年間、自宅での仕事、電話を強いられたという。
今年四月から、ノロエステ傘下の関係者に対し、「JICAシニアへの鍵返還要求に関する協力のお願い」を送り、七人が署名している。
「何を目的にしているのか分からない」と協力を依頼された教師の一人は、知り合いの教師同士で話し合い、署名の拒否を確認したという。
「ブラジルですから、四角四面で考えたらねえ」と苦笑いし、「真面目で曲げない人。でも、いい気分で帰って欲しいですね」と話した。
なお、今年二月には、前述の女性教師から暴力行為があった、と告発する。職員室のPC、電話も使わせないと言われ、腕を掴まれ、Nさんを引きずりだそうとしたという。
件の教師は、「全て解決済み」とニッケイ新聞の電話取材に答え、「話すことは何もない」と電話を切った。
◆JICA本部への嘆願書
「シニアの尊厳を踏みにじられ、蔑まれても派遣し続けるのは、どんなことが起こっても支援を続けるとという前例を作るに過ぎず、モデル校教師の態度、受け入れ機関の態度を助長させることになる」――。
こんな厳しい内容の嘆願書に対して、JICA側は今月五日付け文書で、「派遣先としては適正な組織」と対応、「感情の軋轢、現地での制約は当然あり、お互い譲り合うもの。シニアも現地での状況に対応できなかった面もあるのでは」と小林所長は話し、同地への派遣は続けていく考えを示した。
白石会長は、「日本の人が汗水たらして働いたお金できてるわけですよね。なのに簡単に帰るとか…。おかしいと思いました。今まで六人の先生に来てもらっていますがこんなのは初めて」と表情を曇らせる。
なお、恒例の歓送会もNさん自身の要望で開かれていない。