2007年6月22日付け
「テレビで見てから」と茶道への興味のきっかけを話すのは、バルバラさん(13)。仲良しのマリアーナさん(同)とナジラさん(14)を誘って、「茶の湯」の知識を深めた。
「飲んだあとはこうやって、飲み口を拭うのがマナーです」とナジラさんは知識を披露してくれた。
教室で開かれた「日本文化に関する講演」では、日本の歌で自慢ののどを披露してくれたアリーネさんがマイクを持った。日本の地理、建築、庭園、能、歌舞伎、そして簾や屏風の使い方まで、中国からの影響にも触れ、澱みなく話す。もうしっかりと自分のものにしてしまっているようだ。
「ヴィヴァ・ジャポン」の発案者でコーディネイターを務めるサンパウロ州教育局の日野寛幸さんも会場に求められ、急遽特別講師に。
日野さんは十歳で福岡県から移住した。約五十日にわたった移民船、開拓地の経験、言葉の苦労などを話し、「小学校に行きなおし、大学まで州立校にお世話になった。教育に関わって三十五年。こういう形でお返しができるのを嬉しく思う」と締めくくった。
同プロジェクトの予算は三百万レアル。州内にある公立校は約五千五百。約五百万の生徒が学ぶ。
十五日現在、州教育局が申請を認可したのは、三十五校、申請中の数は約二百だという。八月一日まで申請可能。現在問い合わせが多くあることから、日野さんは、「最終的に五百校くらいが参加するのでは」と見ている。優秀校は来年の百周年で表彰される予定だ。
「授業が終わっても勉強会を開くなど非常に熱心」とパトリシア・リヴェロ・ベラト校長は同プロジェクトの効果を話し、十月には父兄を招待した発表会を計画している。
百周年を来年に控えたことから、同プロジェクトを企画したものの「最初は心配だった」と日野さんは明かす。移民国家ブラジルで日本だけを取り上げることに反発があるのでは、と危惧したからだ。
「でも、反対意見は一つも出なかった」。ブラジルからの日本移民、日系社会に対する評価、と続ける。
なお、国際交流基金は教育局と連携し、「ヴィヴァ・ジャポン」参加校の高校生を対象に作文コンクールを行なう調整に入っている。
選考委員会を設立し、優秀者十人を来年七月に日本に招待することを予定に計画を進めるという。
同基金サンパウロ事務所の西田和正所長は、「高校生の目で見た現代の日本をブラジルに持って帰ってもらい、将来の日伯交流を担う存在になれば」と語った。
ブラジル、特にサンパウロにおけるに日本文化への浸透度は著しいが、この日本に対する親近感こそが、日本移民百年の歴史の結果ともいえそうだ。
生徒たちの笑顔から、世界にも類を見ない親日国ブラジルの一端を改めて知る機会ともなった取材だった。(終わり、堀江剛史記者)
州政府日本文化教育プログラム「VIVA・JAPAO」の現場をゆく=連鎖《上》=オザスコ=〝ニッポン〟学ぶ子供たち=生徒自身がテーマ選んで=原爆、歌やYOSAKOIも