2007年6月13日付け
ブラジル日本移民九十九周年の幕開けイベントとなる企画展「笠戸丸以前の渡伯者たち―大武和三郎、藤崎商会、隈部三郎を中心として―」(ブラジル日本移民史料館主催)のイナウグラソンが十一日夜、同史料館九階で開かれ、関係者ら約百五十人が出席した。葡和・和葡辞典の著者である大武和三郎の孫、大武和夫氏が来伯したほか、隈部三郎氏の孫、野上パウロ氏、ドン・ペドロ二世の子孫にあたるドン・ベルトランド・デ・オルレアウス・イ・ブラガンサ氏も出席した。写真パネルや関係書類など計百五十点の豊富な資料が展示されており、コロニア神代の時代を知る貴重な特別展となっている。開催期間は八月十二日まで。
「ブラジルにいた期間は短期間だが、日伯修好に尽くした一生だった」
大武和夫氏はあいさつで祖父、和三郎の人生をそう振り返った。
大武和三郎は一八八九年、横浜に寄港したブラジル海軍の巡洋艦「アルミランテ・バローゾ」に海軍少尉として乗り組んでいたアウグスト・レオポルド殿下(ブラジル皇帝ドン・ペドロ二世の孫)にブラジル留学を勧められ乗船、十七歳で渡伯した。
海軍関係の学校に学ぶなどした五年の滞在後、帰国。ブラジル公使館勤務の傍ら、日本で初めてとなる葡和辞典を一九一八年に編纂、出版した。
多くの移民が世話になったにも関わらず、その人生には光があたることは少なかった。「そういう意味でも本企画の意義は大きい」と上原幸啓文協会長はあいさつ、「昔の移民船に必ずあったのは、御真影と大武さんの辞書」と話す。
十六歳で移住した松尾治県連会長は、「毎晩辞書を持って学校へ行った。今でも持っています」とポ語習得に苦闘した当時を振り返り、和夫氏と歓談を楽しんでいた。
十年来、大武和三郎について地道な検証を行なってきたサンパウロ人文科学研究所の森田左京氏は、「今回の企画は大きな励み」と更なる大武研究に取り組む考えだ。
ブラジル最初の日本人商店「藤崎商会」は一九〇六年、サンパウロ市に開店、ブラジル各地に支店を置き、農場経営も行なった。 また、「民間領事館」として、日本移民に様々な形で便宜を図ったが、二六年の四代目社長、藤崎三郎助の死後、同商会は日本へ撤退している。
しかし、派遣社員の後藤武夫はブラジルに残り、東山商事と連携しながら、日系商業界の発展に尽くした。
隈部三郎は、永住を目的とした最初の家族移民の家長として、〇六年に来伯。日本人として始めて帰化した次女、三女は、師範学校で学び日系初の教師となった。隈部は事業の失敗や関係者の死、家族関係の葛藤などから二六年、自裁の道を選んでいる。
隈部の孫にあたる野上パウロ氏はあいさつで本企画を今までの移民関連事業とは一線を画していると賞賛し、「今でも家族の名前が覚えられていることは嬉しい」と語り、企画実施の総合コーディネーターを務めた小笠原公衛JICAシニアボランティアに賛辞を送った。
準備に奔走した小笠原さんは、「今までその人生に焦点の当たってこなかった先人たちに感心を持ってもらえれば」と多くの来場を呼びかけており、新たな新資料の発掘にも期待をかけている。
ブラジル日本移民史料館の開館時間は、午後一時半から五時半。月曜休館。入場料は大人五レアル、六~一一歳まで一レアル、十二歳以上、学生証を提示で二・五レアル。