2007年6月9日付け
「補聴器なし、自分の歯も二十二本ある」とかくしゃくたる様子の金田敏夫さんは、一九〇八年十一月、山口県下関市生まれで、今年九十九歳になる。奇しくも第一回笠戸丸が到着した年だ。サンパウロ州オウリーニョス市在住で、毎朝七時から十時まで同日伯文化体育協会のゲートボール場で練習を欠かさない。
九九年、九十二歳の時に日本に招待され、第三十七回江差追分全国大会の熟年の部で準優勝したことで一躍有名になった。三日にサンパウロ市の北海道協会で行われた第十八回江差追分ブラジル大会にも元気な姿を見せたばかりだ。
一九二九年のかわち丸で渡伯、十八歳だった。以来、八十四年をブラジルで過ごした。江差追分を始めたのは三十年ほど前というから、七十歳近くになってから。「日本中の名人のフィッタをいっぱい集めて、繰り返し聴いているよ。フィッタは二十本、ビデオは四十本はあるかな」。
練習は家の中だ。朝の日課、ゲートボールから帰ってきてNHKワールドを見る。その後、午後四時ぐらいから伴奏の音楽をかけて、四回ぐらい歌う。「座ってばかりいるとケツが痛くなる」と豪快に笑う。
元気な秘訣は、「何でも美味しく食べること」だそうだ。特に大好きなのは「あん餅」だとか。「ご飯いらんですよ、モチあったらいい」。
江差追分だけではない。ゲートボールでも何度も優勝しているスポーツマンだ。「今年のサンパウロの高齢者大会でも準優勝した」。
大相撲のある時は、午前四時に起きてNHKを欠かさず見る。金田さんの後輩にあたる、豊浦高校(金田さんの時は下関調布中学校)卒の豊真将(ほうましょう)の取り組みを何より楽しみにしている。「活躍してほしいな」。
金田翁は来年、百周年の年にめでたく百歳を迎える。まだまだ元気で過ごしてほしいものだ。