2007年5月17日付け
サンパウロにはバックパッカー宿と言われる「ペンソン荒木」がある。昔でいうと無銭旅行者、現在でいうバックパッカーという言葉が一般的になったのは、いつ頃の話だろうか。九〇年代、沢木耕太郎の「深夜特急」を携えてアジア各地を旅する若者が多くいた。元祖ともいえるのは、小田実の「何でも見てやろう」だろうが、二十世紀初頭に世界を三十数年も徒歩で旅行した日本人がいたとは驚きである。
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サンタカタリーナの二クラブも含め十四クラブが加盟しているパラナ・ゴルフ連盟は来年、創立二十五周年を迎える。同年、ブラジル日本移民百周年を迎えることを踏まえ、原新氏が日系初の会長に就任した。原会長によれば、来年四月に全伯大会を開催するほか、百周年関連大会も多く企画しているという。
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一九五五年、パラナ州のアサイ郡会議員を皮切りに、同州初の日系議員、連邦議員は七期連続当選した上野アントニオ氏。日伯友好に尽力、お膝元、パラナ州では絶大な人気を誇る。十三日の母の日、同州フォス・ド・イグアスー市で八五歳の誕生日を迎えた。同市主催ゴルフ大会の表彰昼食会で祝福され、「まだまだ生きますよ」と元気にあいさつ、会場からは大きな拍手が送られた。