2007年5月17日付け
六日朝、サンパウロ市の文化イベントであるビラーダ・クルツラウの会場の一つ、パイサンドゥー広場でアフリカから黒人が持ってきた踊り(コンガーダ)を披露するグループを見た。そのリズムやメロディ、打楽器は明らかに独特の文化を主張していた。その姿を見て、なんとなく「ブラジルも一皮むけば真っ黒なんだ」と意外に思った。サンパウロ市だけでなくエスピリット・サント州、ミナス州、ゴイヤス州からも来ていた▼各地の黒人コミュニティを代表する彼らは「この踊りにはアフリカ伝来の文化が継承されている」と高らかに宣言し、会場から大きな拍手を受けた。カトリック教会に伝統芸能を奉納する団体として、アフリカ文化は生き残っているようだ▼そのあと神父は、「我々は同じブラジル人である」と言いながら、広場の中央に建つ教会を指さし、「ここはかつて黒人が入ることを禁じていた。その歴史を反省し、忘れないようにするためにここでミサをするのだ」と民衆に語りかけた▼ブラジル人とは何だろうと考え込んだ。三百年前、四百年前に奴隷として連れてこられたアフリカ系はとっくにブラジルに統合されている気がしていた。だが、自らのアイデンティティの一端を残そうともがいている。事実、彼らの持ち込んだ音楽、食べ物はすでにブラジル文化の一部だし、彼らの存在はブラジル史そのものだ▼各民族が自らの文化、出自を残しながらブラジルという文明に統合する道を模索している。日系コロニアが日本文化を継承させようとする活動も、ある意味でコンガーダと同じく、ブラジル文化の一部なのだと思った。(深)