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市と共に歩んで六十年=還暦迎えるマリンガ文協=6月に記念式典盛大に=3月に百周年委が発足

2007年4月11日付け

 海外では世界最大規模といわれる日本庭園を来年六月にオープン予定のパラナ州マリンガ市は、今年五月に市制六十周年を祝い、翌六月には同文化体育協会も創立六十周年を迎える。五〇年代からブラジル学校を経営し、八〇年代には同市一番のクラブ施設を誇る現住所に移転して同市最大のイベント・日本文化週間を始め、九〇年代にはテレビ番組で他民族と競って全伯一に輝き、全国にその名を轟かせた。熱心に姉妹都市提携を続け、順調に世代交代を行い、常に市と共に歩む同文協の歴史を振り返ってみた。
 今年三月に市条例042/2007が発布され、市レベルの日本移民百年祭組織委員会が発表された。シルビオ・バーロス市長を名誉会長に、市役所の八部局、議会を先頭に多数の企業や宗教団体ら約百五十もの個人や法人が名を連ねている。
 日系社会側の百周年責任者、安永修道さん(三世、文協相談役)は「日本庭園建設に向けて市と一体になって取り組む」と意気込む。同市百周年事業の目玉で、運営は市や連邦政府をいれた七団体がOSCIP(免税団体)として行う。
■定着した日本週間■
 八月九日から行われる日本文化週間は、八九年から続く同市一番の大イベントだ。土日などは一日一万人以上が集まり、九日間で延べ十万人が入場する。現地ブラジル人も待ち望んでいる。人口三十一万人の地方都市にとっては大きな数字だ。
 夕方は盆踊りを行い、夜十時以降は同地青年部が〇二年ごろに発明した、若者やブラジル人に大人気の「マツリダンス」の時間となり、一気に盛り上がる。
 「市内には、他にこれだけの設備のあるクラブはない」と安永さんは説明する。十四万平米の敷地内には各種スポーツ施設のほか、総合体育館、講堂も。職員は三十人にもなる。
 さらに加古川マリンガ外国語センターという英語と日本語の語学学校もある。姉妹都市提携二十周年を記念して、加古川市が費用を負担して九三年に建設した。この五月の市制式典、六月の文協式典共に加古川市から使節団が来る予定になっている。勝山三夫顧問は「ブラジルでも一番、こんなに長年良好な姉妹都市関係を続けているのでは」と自認する。
■文協が学校を創立■
 初期の中心的活動を探ると、五〇年代中頃に同文協が創立した「Colegio Mista Sao Jose」にたどり着く。「当時市内には良い学校がなかった」(安永談)ので文協が作り、二十年ぐらい経営を続けた。子弟教育の熱心さ示す事業だ。最盛期で二百人以上の生徒を抱え、八割以上は日系人だった。
 「セグンド・グラウ(高校部)を始めたのがまずかったな」と当時、運営に関わっていた勝山三夫文協顧問は振り返る。徐々に州立学校のレベルが上がり、高校部教師の給与などが経営を圧迫、結局は同校で校長を務めた経験のあるブラジル人に譲った。現在も「コレジオ・グラハム・ベル」として続いている。
 九〇年まで歴代会長は全員一世。九一年に初の二世会長として久保田ジョルジさんが就任し、安永会長の代に順調な世代交代を象徴する〃事件〃が起きた。
 九二年のSBTテレビ局の番組『ナッソンイス・ウニーダス』でスペイン系、ドイツ系、ギリシャ系、韓国系など十六カ国からの移民系団体代表が、毎月一回、一年かけてスポーツ・文化のクイズなどで点数を競って、見事優勝を飾ったことだ。当時、安永さんはまだ四十歳。次の会長となった西森弘志さん(二世、現パラナ州議)は副会長だった。
 六月二十二日に六十周年式典を同講堂で行うマリンガ文協の鈴木エドワルド会長は、「マリンガにゆかりのある皆さん、ぜひ集まってください」と呼びかけた。〇七年現在で同文協の会員数は八百家族いる。
 生存する創立会員に集まってもらい、六十周年記念としてそのオメナージェン、会館改修などを進めていく。来年の年初には六十周年記念誌を刊行する予定だ。
 学校こそ続かなかったが、子弟教育重視の伝統は、スポーツ振興や日本文化普及と形を変えて、今も色濃く引き継がれている。