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伯が育んだ、歪んだ文明=犯罪対策の真剣な議論を

2007年4月4日付け

 【エスタード・デ・サンパウロ紙三月一日】リオ・デ・ジャネイロ市で起きた幼児ジョアンちゃんの惨殺事件は、有識者や法律学者、社会学者、政治家など全国民に、ブラジルの病根を考える機会を与えた。これは極刑に処しても解決する問題ではない。
 人権主義者の犯罪に対する法的見識や刑法の欠陥、行政機関の責任、国民の義務、際限のない残忍性、無法と無秩序、少年法について、解決を先送りせず話し合うべきではないか。
 政治学者のイポリト氏は同事件が治安の問題ではなく、ブラジルが育んだ、歪んだ文明の問題だという。倫理観、価値観、歴史観に欠陥があるのだ。全国民の心を横切る疑問は、こんな欠陥文明を築いたブラジル国民であることに羞恥心を感じないかということ。
 超時代遅れの政治家と倫理、価値観、無責任な政治運営と汚職の定着、求心力を失ったブラジル社会が無法と無秩序を生み出したのではないかと同氏はいう。全国民は現在、不適格な政治家を選出した責任が問われている。
 米国でも惨殺事件が起きるが、ブラジルの場合と本質的に異なる。米国のは、完成した倫理観と共存できない社会疎外者の暴発である。米国は、無法者の非社会的行為を許さない社会組織が完成している。
 ブラジルにはそれがない。ブラジルの殺人者は、自分の犯した罪を後悔しない。虫ケラでも殺すように再度、繰り返す。社会の中の個人とか、社会の一員という観念はない。社会が許さないという倫理観は、ブラジルに全くない。
 ブラジル社会には、道徳基準がない。不文律の謙譲基準がない。あるのは力による秩序だ。下層社会にまん延した犯罪システムは、政治家の汚職システムを頂点にブラジル全体に力の倫理として定着した。
 人類は建設もするが、破壊もする。創造もするが絶滅もする。スペインの哲学者オルテガは「トラはトラ以外になり得ないが、人間は人間以外にもなり得る。神にもなれば、悪魔にもなる」といった。人間でなくなった殺人鬼は、刑務所も死刑も効果がない。
 殺人の常習犯は、自分の生命も他人の生命もその価値を認めない。これは刑法の改正では解決できない問題である。コロンビアでは十年をかけて、無法と無秩序に対する市民の協力を得て、見るべき成果を上げた。
 第一に行ったのは、治安機関の綱紀粛正である。犯罪組織の手先らを一掃した。第二は連邦政府と地方自治体との連携により、超党派で取組んだこと。第三がスラム街の都市計画。第四が市民に愛される警察官の育成。第五が低所得層の若者に健全なレクリエーションを提供。第六は未成年の特別扱いの見直し、児童を労役から解放した。