大学で学ぶべきこと=新しい真理の発見者たれ大学で学ぶべきこと=新しい真理の発見者たれ
2007年3月21日付け
大学で学ぶべきこと=新しい真理の発見者たれ
【ヴェージャ誌一九九六号】一五〇万人の学生が三月、大学に入学した。近代科学では九カ月毎に学術知識が倍増する。これは大学を卒業した二年後には、学んだことの八〇%が時代遅れで役に立たないことを意味すると、ハーバード大学のカニッツ教授がいう。
時代遅れは職業によって異なる。教師ならば自分の専門分野で、常に新しい情報を習得しなければ乗り遅れる。しかし、全部ではない。時代が進んでも、永久不変な真理もある。
教師には三つのタイプがある。一は超保守派で、前世紀の知識を教える。現実には存在しないドグマから、抜け出せないのだ。自称ネオリベラル派とか進歩派というが、これも前時代の遺物だ。猛スピードで変革する社会の外にいる人たちが、それだ。
二は自己欺まん派。時代の変革に従って、考え方を変革できない人たち。昔習ったことを、そのまま教えている。要するに乗り遅れ派である。象牙の塔という言葉は、こういう学者のためにある。象牙の塔の中にいれば、学者先生である。一歩外へ出たら、世間知らずの見本になる。
三は独創的な教師で、会えたら幸運というべきだ。先見の明があり、明日の世界、未来にインスピレーションがある人。誰も気づかなかったことを提言し、学生を励ましてくれる。現在は知識という概念が変わったのだ。それが分からない学者が多い。
永久不変の法則というものは存在しない。大学は、知識を学ぶところではなくなった。博識家とか知識人は、化石人間か生けるミイラを意味する。今日の科学知識は短命で、一回か二回話題にしたらゴミ箱に投棄しなければならない。古い知識は頭で咀しゃくし、新しい知識を生み出す必要がある。古い知識が多数集まって新しい知識を熟成することがある。
大学で学ぶのは、習得した知識からいかに新しい知識を生み出すかである。学んだ知識はそのままでは役に立たない。知識は必要に応じて知恵にしなければならない。それには問題を分析し、解決法を案出する術が必要だ。
今日役に立った知識や知恵が、明日も役立つわけではない。明日はまた新しい知識と知恵を生み出し、新しい解決法を探すのだ。ケインズやフロイドが生きていたら、同じことを言うに違いない。故人を乗り越えて新しい真理を発見する開拓者である必要がある。
新入生は、新しい真理の開拓者である。プロとして成功した人たちは、自分で新しい真理を発見した人たちである。一と二のタイプの教師を軽視すると落第させられるから、バカバカしくても注意すること。しかし四年ないし五年の間に創造的な教師を探し、自分の問題やブラジルの未来について話し合うことだ。