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有名犯罪地区が大変身!=今ではモデル地区に=警官の暴力事件が転機=「やればできる」を裏付け

2007年3月16日付け

 【エスタード・デ・サンパウロ紙四日】かつてはサンパウロ州第一の犯罪地区として名を馳せたジアデーマ市が大きく変身、今では犯罪防止のモデル地区となっている。この変身のきっかけとなったのが、十年前に発生した同市ファベラ・ナヴァルでの警官の殺人暴力事件だ。この事件をきっかけに軍警の体質が改善され、公私による防犯対策が練られることになり、世間を震撼させた事件は教訓となって生かされた。一九九九年は殺人件数が三七四件お州内でトップだったが、昨年は七八件に減少し、犯罪地区の汚名を返上した。
 十年前の九七年三月三日、同市ファベーラ、ナヴァルの目抜き通りのナヴァル大通りで、ジアデーマ市軍警二四部隊の軍警パトロール隊十人が通りがかる車を停めて暴行を加える行為が続いた。さらに七日には二十九歳の男性が頭部をピストルで撃たれて死亡する事件が発生した。
 この模様をアマチュア・カメラマンが撮影、テレビのニュース番組で全国に放映された。映像は外国でも流れ、非難の的となった。軍警らは逮捕され有罪判決を言い渡された。主犯格は禁固五十九年の判決となった。
 このことで警官の権力不当行使が問題となり、四月には警官の暴力行為が禁止され、違反した場合は厳罰処分の対象となった。これを受けて軍警内部では体質の改善を試みたが、司令官は当時を振り返り、警官のモラルの低下が浸透しており、何から手がけて良いかわからなかったと述懐している。
 とりあえず基本である警察官訓練から始めた。またジアデーマ部隊には犯罪に手を染めたり、行動に問題が多い警官が配属されるのが常だったが、これを廃止してエリート隊員を配属して士気を高めた。さらに犯罪地図を作成、事件発生後ただちにパトロール隊に連絡がいくようにした。さらに市と市議会では民間人と定期的に治安対策の会合を開き、広く意見を取り入れた。
 これによる効果は二〇〇〇年から表われ、九九年の殺人が三七四件だったのに対し、〇六年は七八件に減少した。市民と警官との交流も行われている。
 住民によると、当時は住所を言うと誰も雇ってくれなかったし、買物をして宅配を頼むと、住所を聞いただけで震えあがり、配達を拒否されたという。現在目抜き通りは悪夢を拭い去るためにイデアロポリス街と改名、三〇〇家族が川辺を中心に住みついている。街角のバールには昼間、約五十人の住民が集い、パゴデ・サンバに踊り酔いしれている。