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父娘2代で見たブラジル=斎藤由香さんが来伯=父、北杜夫氏の近況語る=「百周年にはもう一度」

2007年3月16日付け

 「移住者の方の一言一言が沁みた。百周年にもう一度来たい」――。歌人斉藤茂吉を祖父に、作家北杜夫を父に持つ、サントリー宣伝部の自称〃窓際OL〃斎藤由香さんが八日来社、ブラジル滞在の感想を語った。「どくとるマンボウ」シリーズで有名な作家の父、北杜夫さんといえば、ブラジルの日本移民を取り上げた大河小説「輝ける碧き空の下で」(日本文学大賞)でも知られる。北氏同様、今回の来伯で感じたブラジル移民への熱い思いを語ってくれた。
 「実は読んだことなかったんですよ。来る飛行機のなかで慌てて読みました」と屈託なく笑う。ブラジル関係の本では、現在勤務しているサントリーの前身、寿屋の宣伝部にいた故開高健の「オーパ!」も携えた。
 今回の来伯の目的は、自らがキャンペーンガールを務め、前年比六〇〇〇%の大ヒット商品となった『マカ 冬虫夏草配合』に続く〃二匹目のどじょう〃を探し、ベレンで日本人が行っているスッポン養殖を視察すること。
 そして、東京農大アマゾン移住五十周年式典に出席、移住者たちと交流を深めたことが大きな収穫だったようだ。
 「人の体に卵を産み付けるビッショ、豚の血で作る石鹸。たった五十年前にあったこととは思えない世界があった」
 アマゾンで移民たちから聞いた話は、斎藤さんの関心を掻き立て、取材ノートを埋めた。北杜夫氏同様、ブラジルの大地に生きた日本人の姿は、斎藤さんの琴線にも触れたようだ。
 七七年三月十七日付けのパウリスタ新聞によれば、小説でブラジル移民を取り上げた理由について、北氏は、「タヒチで明治移民に会って非常に興味を持った。ライフワークとして移民物語を完成させたいと決意した」と語っている。
 ブラジルへ出発する前の晩、斎藤さんはこの話を直接聞いた。記事にはないが、出会った老移民に「日本に帰りたいか」と聞いたことを打ち明けた。
 「考えたら辛いし、叶わないから、考えないようにしている」との返答に「質問したことを悔やんだ」と北氏は涙ぐんだという。
 それを見た斎藤さんは、「万感胸に迫る思いがした」と父の思いに目頭を熱くする。
 北氏は取材で二度、ブラジルを訪れているが、初回取材に同行した醍醐麻沙夫さんは、「朗らかでニコニコしていた」とその人柄を振りかえる。
 「蝶取りやサウーバ(葉きり蟻)の観察に夢中になっていた」(醍醐氏)という弓場農場に向かう際、北氏が「こんな空は見たことがない」とノロエステの〃碧い空〃を見上げていたことを思い出す。
 未完に終わった「輝ける―」について、醍醐氏は東京で北氏に会ったさい、大きな壁に当たっているのを感じたという。「作家としての問題ではなく、移民の歴史の奥深さを描き切れなかったのでは」と分析する。
 北さんは現在、七十九歳。体調が悪く座って執筆することはできないというが、ブラジルへの思いはいまだ持っていると斎藤さん。そして、その熱きDNAは十分に引き継がれているようだ。
 「百周年のことが日本では全く知られていない」と日伯の温度差を歯がゆがる。今回の来伯経験を各メディアで紹介していくと同時に、「絶版になっている『輝ける―』を復刻したい」との思いも。
 「今度は父が訪れた弓場農場や平野植民地にも訪れたい」と来年の再来伯への強い希望を語る笑顔に北氏の面影が浮かんだ。