2007年3月14日付け
【ヴェージャ誌一九九三号】元財務相のデルフィン・ネット氏が、ベネズエラやボリビアで民族主義が台頭するのは、国家経済の当事者が選挙について無知だったから起きたことだと説明した。これは、同氏が下議選に落選して悟ったことだと供述。ルーラ大統領をベネズエラのチャベス大統領と比較するのは、お門違いだと指摘する。大統領は労組指導者の使命を終え、現在は労組の次元を超えた元首の立場を達観しているという。同氏は右翼から左翼へ鞍替えしても、政治理念は変わっていないと弁明。変わったのは、現実と経済観念だけだそうだ。
下議時代は忘れられた存在であったが、これは落選後に政府から見直された同氏の存在に関する会見内容を披れきしたものである。
【マルクス論を執筆したのは】世銀や国際通貨基金(IMF)の報告書は、南米先住民の気持ちを全く無視しているので、資本論を書き直したまで。浅慮な人だけが、マルクス理論のオノロケと思っている。大統領がマルクスの信奉者でないことは、所信演説を分析すれば分かるはず。
ルーラ大統領は一九七五年、金属労組の理事長に就任したとき、マルキシズム政権の人権じゅうりんと労働者虐待を非難し、訣別宣言を行った。ブラジルの自称インテリより、大統領は知性で優っている。
執筆のマルクス論は、ネオリベラリストでデカルト派、スピノサ派、カント派ケネス派、フロイド派、アインシュタイン派の見地で書いたもの。マルクス理論は経済学や社会科学だけではないが、どっちもほころびた。マルクスは市場経済や自由経済が生まれる前の人であって、人類学の見地で資本論を書いたのだ。
【階級闘争について】人間は生まれつき格差があり、自然に格差はできる。格差是正が階級闘争ではない。それはマルクスの誤解である。マルクスの資本論は、公社の設立や政府の雇用創出などで誤解された。政府の役目は、国民に平等のチャンスを与えることで、それが格差是正につながると考えている。
ルーラ大統領は全国民に、教育と医療で平等のチャンスを与えようと努力している。せっかく築いた均衡財政を犠牲にしてまで、社会福祉に傾注しない。彼に与えられた地位を、下層階級への生活扶助金供与で最大限に利用している。大統領には必要な知恵がある。無い物まで配布するような愚行はしない。
【経済活性化計画について】一九九七年に上程され、棚ざらしになっていたインフラ法案のホコリを払っただけ。せっかくの懸案が引き出しに投げ込まれないように注意を喚起したことと、眠れる事業家や投資家に覚醒を促したことで同案上程は称賛に値する。
資本投下が行われるために、二つのことを保証する必要がある。経済成長に必要な構造改革の実施とエネルギーの確保である。構造改革のガンは、帝政時代から培われたブラジルの非生産的体質と時代に逆行する特権階級だ。エネルギー確保には、先住民保護区の問題がある。
経済活性化の妨げとなっているものに、八八年に制定された連邦令もある。現行の連邦令は、軍政を否定する想定の上に制定された。軍政令にマイナス記号を付したような内容である。スウェーデンの福祉国家を模し、低い個人所得と人権重視を目標とした。
【社会保障院の改革】改革は、抵抗の少ないところから始めたほうがよい。社会保障院改革には、帝政時代から温存された旧体質の特権階級という抵抗がある。この旧体質を改革するには、四十年の年月がかかる。抵抗が少ないのは、均衡財政や国内総生産(GDP)に対する債務率、エネルギー確保など。
【汚職について】国家公務員は真面目に働くのが、バカバカしくなる政府機関の仕組みになっている。仕事の励みは、省庁の奨励活動に隠れた水増し予算請求で懐を肥やすことである。省庁予算とは、悪童の祖母のようだ。祖母は悪童に体罰を加えることはない。
どの省庁にも灰色高官がいて、下郎の首も用意してある。一生かかっても入手できないカネが貰えるなら、名前が汚れて社会から葬られる位甘受する。これも、八八年に制定された連邦令の落とし子だ。