2007年3月9日付け
駐在員夫人がブラジルの今昔について書いたエッセイを最近読んだ。一番印象的だったのは、野菜の〃堕落〃を指摘した記述だった▼この女性は、ポンコツ同様の車がタクシーとして使用されていた時代にもサンパウロで生活していたらしい。比較して、今走行する乗用車は「随分きれいになった」という。ただ、新車の値段は、日本と比較し一・五~二倍くらいだろう、とし、レアル高の諸物価はこたえるといっていたが…▼さて「野菜」である。ブラジル生活者は、野菜の質の悪化を知らないわけではない。ただ、比較的長い時間における変化なので、あきらめに似た気持がある。エッセイの女性は十数年~二十年前の野菜から一気に今日の野菜を見、食べるのである。その変わりの激しさに驚くのであろう▼ほうれん草、大根、さやインゲンなどは、大きくて大味で乾燥して水分を失いかけている、里芋は昔のようにねばりけがない、と書く。実際、胡瓜など本来の香りを失って久しい▼女性は「日系の方で農業を継ぐ方が少なくなったせいでしょうか」と推測する。確かに減ったであろうけれども、もっと本質的には、生産に取り組む姿勢の問題である。いいものをつくり、評判をとれば、売上げが増加するのは明らかなのに、とにかく売れれば事足りる、という考え方だと質の向上は望めない。まさか形が大きいものが最良とは考えていまい▼昔を知っている人に嘆いてもらって、改めて、ブラジルの野菜の変質を思い知った。(神)