2007年2月24日付け
最後の笠戸丸移民、中川トミさんが昨年亡くなったことを受け、本紙では「生存する最古の日本移民」として、一九一二年の第三回移民船、厳島丸で来伯した大原綾子(熊本県旧鹿郡中富村出身=現在山鹿市)さんを取材、本紙新年号で伝えた。
ブラジル日本移民百周年を来年に控え、もっとも長くブラジルに生活する日本人を明らかにすることは意義があると考え、編集部では昨年十一月から本紙で情報提供を呼びかけていた。
新年号で綾子さんを最古移民として報じ、読者からの反響も大きかった。以来、二カ月近くが経過したが、第二回移民船旅順丸(一九一〇年)の乗船者の生存者は確認できておらず、依然として綾子さんで間違いなさそうだ。
このたび、JICA横浜海外移住資料館から問い合わせがあった。木村嘉一さんを家長とする一家に綾子さんの名前がないことを指摘、伯剌西爾行移民名簿第4巻、竹村第三回移民名簿(厳島丸)も添付されていた。
家長嘉一、妻ミエ、二女文子、養女シクとあり、確かに綾子さんの記名はない。しかし、記事では触れていないが、綾子さんは同郷熊本の荒木又雄氏を家長とする構成家族として来伯している。
木村家はグアタパラ耕地に入植したが、荒木夫妻は綾子さんを連れ、サンタリッタ耕地へ。一週間後、嘉一さんは、綾子さんを迎えに行き、一家は一年間グアタパラで生活した。
この当時、移民規定には、「労働力三人以上」という項目があったが、荒木一家はそれを満たしていない=写真=。綾子さん本人に確認したところ、「家族には荒木さんの甥がいたが、名前や年齢などは覚えていない」という。「子供がいたほうが認められやすかったと聞いています」と自分が構成家族になった経緯を話している。
サンパウロ人文科学研究所の宮尾進顧問は、「笠戸丸移民に見られるように、初期移民の書類などは曖昧なものが多い」と話し、今となっては調べようがないが、担当官の裁量も大きく影響している可能性も指摘する。
綾子さんの長男で、ブラジル日本文化福祉協会の評議員会長を務める大原毅氏は、「日本を出るとき母は荒木姓に戸籍を変えているのでしょうが、その後(リベイロン・プレットの)領事館で木村姓に戻したとは聞いていません。父豊と結婚するまでは、日本の戸籍では、荒木綾子だったのかも知れませんね」と語った。