2007年2月9日付け
【エスタード・デ・サンパウロ紙二十八日】ブラジルの基幹産業である自動車および関連業界で今、一人のアジア系人物が注目を集めている。その人物とはブラジルGMのレイ・ヤン社長で、カナダ生れの中国系二世のヤン氏は三年前にブラジルGMの指揮をとるために赴任してきた。着任三年目の昨年、それまで八年連続の赤字決算を解消、一気に黒字転換させたことで内外で高い評価を受けている。
かつて日本の日産が経営に行き詰まり大量解雇者を出す破目に陥った折、提携したフランスのルノーが、ブラジル生れのフランス系二世のカルロス・ゴーン氏を派遣して、見事に経営を軌道に乗せた経緯がある。ゴーン氏はその手腕が買われてルノー本社の社長に就任している。
ヤン社長も同様で、アメリカのGM本社が少しは好転したとはいえ赤字財政が続いている中、ブラジルGMの黒字経常はグループの連結決算に大きく寄与し、早ければ年内にも凱旋将軍として本社の重役に迎えられるだろうと噂されている。同社の決算は近日中に公表されるが、一月から九月までの利益は三億九六〇〇万ドルとなり、前年同期の八七〇〇万ドルを大きく上回った。
ヤン社長の両親は一九五八年、毛沢東による当時の文化大革命による混乱と迫害に嫌気がさし、香港に渡り次いでカナダに移住した。そこでヤン社長は一九六一年十二月に生れた。カナダのオンタリオ大学在学中は、貧しい移民の子の境遇からレストランの給仕、ガソリンスタンド店員、墓掃除のアルバイトをこなした。この時に顧客を大事にする精神を語ったと述懐している。
大学卒業後、アメリカのシカゴ大学に留学し財務経理を専攻した。一九八六年にGMに入社、カナダ、米国、ヨーロッパ、日本の支店を歴任した。この間東南アジア諸国をくまなく旅行している、もちろん両親の祖国もだ。
ヤン社長は着任早々、コストの削減を命じた。乗用車一台につき一〇〇〇ドルのコストダウンという過酷なものだったが、やり遂げた。二〇〇四年には国内販売のトップに立った。GMがブラジルに進出して以来、八十二年ぶりの快挙だった。その翌年にはフィアットにトップの座を奪われたため、最初にして最後のトップの座だった。
ヤン社長は経営不振の中でも二万一〇〇〇人の従業員を解雇することはなかった。従業員の士気を鼓舞するため週に一回キャンペーンデーを設けて、GMの宣伝Tシャツを着て社内を歩いた。陽気な性格からイベントでは様々なパフォーマンスを披露して宣伝に務めた。従業員との会話はもとより、労組や下請会社、販売店と忌憚(きたん)なく意見を交している。同社長によると、現場の声を直接聞くことが市場の把握につながると述べている。