2007年1月17日付け
日米開戦一周年だった四二年十二月七日付の「徳尾日記」(の記述コピー)を読んでいる。徳尾とは当時東山銀行の行員だった徳尾渓舟さんだ。銀行に勤めながら大学に通い、のち会計士になり、短歌もつくった▼日記の内容は、法大生の井上ジェルヴァジオさん(元コチア産組中央会会長)ら日系二世の若者三十人ほどが、公園へピクニックに出掛け、途中、警察官に逮捕され、三日間、留置されたという話だ▼逮捕当日、井上さんの親戚に結婚式があったが、日本人の集合が、禁止されていた時だったので、披露宴を行うことができず、ピクニックして祝宴に替えようとしたという。密告があったらしい。井上さんは留置された期間の大学の試験を失った▼徳尾さんは「いくらブラジレイロの大学生でもカーラ・ノン・アジューダだ。獄中での彼らの心情はどんなものであったろうか」と書いている▼鷹揚な移民国家でも、「国としての権力」を用い、国民である移民の子孫の自由を束縛するのである。井上さんは故人である。戦後は「ブラジルという水」を得た魚のように羽ばたいた▼いま、一世代余り下の人たちが、日系社会の有識層の上の方を形成している。移民百周年事業の推進層でもある。かれらは、井上さん世代の受難を長じてから知ったにしても、祖国に〃区別〃されて生きた経験はないだろう。幸せというべきである▼井上さんに、たとえば、「恨み」のような戦時の後遺症が残っていたかどうかは、今は知る術がない。(神)