2007年1月16日付け
コロニア最大規模の寄付を集めた八十周年の日伯友好病院建設の時、コロニア側で七億円、日本から八億円を集めた。当時は日系社会が活力にあふれた時代だった。現在の実情を鑑みたとき、百周年といえど、桁違いの金が集まるとは考えにくい。今回、八十周年より少しだけ多めに設定したことは、一定の根拠が感じられる数字となったようだ。それに、この額では単独で十億円を超えるような〃箱モノ〃的巨大事業は入りようがない。とはいえ、「十一億円も本当に集められるの?」との町雀のおしゃべりも。
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連邦政府レベルの百周年国内組織委員会に対して、記念協会から推薦されたメンバーは本当に日系社会を代表する人たちか─と首をひねる人もいるようだ。全伯日系社会を代表するという割には、今のところ第二の集団地パラナは皆無で、サンパウロ市ばかり。中には、記念協会の中ですら中心的な肩書きのない裏幕的人物や、日系社会に対して目立った貢献のない人物までいるように見受けられる、との声も。ブラジルと日系社会双方に素晴らしい貢献をしてきた西村俊治さんなどの重鎮を差し置いて、いかがなものか。
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藤田嗣治(一八八六―一九六八)は一九三一年から翌年にかけて、リオとサンパウロ市に滞在し、個展も開いた。パリ画壇の寵児、藤田はリオの文化人にも熱狂的な歓迎で迎えられ、のちにブラジルを代表する画家の一人となったカンジド・ポルチナーリが世話をしたという。互いの寝顔をデッサンし合うなど親交を深めた。日本とブラジル、フランスを結ぶ芸術家の作品展。このような百周年の華々しいイベントは、大企業のプロの仕事に任せた方がいいかも。記念協会は立派な式祭典と、移民の記録を残す事業に専念する?