2007年1月13日付け
サンパウロのTVでも放映されたが、防衛庁が晴れて防衛省に昇格し、初代防衛大臣の久間章生氏が揮毫した大きな看板を掛ける映像を報じたのが何とも印象深い。記念式典には、安倍首相を始め中曽根康弘元首相と歴代の防衛長官も列席し省への昇格を心から祝った。それにしても、自衛隊にとっては長い茨の道であった▼戦後の日本が軍備を整備し始めたのは、朝鮮戦争の勃発で危機感を抱き警察予備隊が創設されてからである。総勢7万五千人の部隊であり、警察の名前は付いてはいるが実質的には軍隊と云っていい。これが後に保安庁になり防衛庁が発足するのは1954年である。あの頃は、偏見らしいものがあって自衛隊には冷たい目が向けられ若い隊員らは寂しさを隠しながら―それでも任務遂行をと頑張り全力を尽くした▼警察予備隊の幹部には旧陸海軍の幹部が入隊し、新兵の訓練や防衛作戦の指揮をとって活躍した。当時は制服組の階級も今の陸将は警察監。一等陸尉は一等警察士だったのである。現在の階級名も熟年組には大将・大佐の方が呼びやすいのだけれども、これも戦前の悪夢を想い起こしそうなので遠慮があるのかもしれない▼久間防衛大臣は、省昇格にともない組織の改変と強化を表明し、首相も集団的自衛権にも本格的な研究を進める方針を示している。これは当然な認識と議論であり、もう「非武装中立論」や「一国平和主義」だけでは通らない。國際平和維持活動(PKO)への参加も本来任務となった今は、自衛隊もこうした活動に積極的に取り組む姿勢を大切にしたい。 (遯)