サンパウロ市の北西サンタローザ街《註=当時の雑穀取引地区》の午後。ローザ(ばら)の香り? いや、麻袋とタマネギのにおいだ。満腹した太鼓腹があくびをするように、穀物が麻袋の口から転げ落ちている問屋の入り口。天井からはレスチア(縄で三つ編みに連ねられた)のタマネギが汚い壁にそって垂れさがり、汗をかいたような強いにおいを発している。袋の山。どこの店先にも同じようなタマネギが前髪のように下がっている。みんな同じだ。昔ながらの広い二枚の緑色に塗られた扉。
そして10貫秤――台秤――卸商人のシンボルだ。
セメント張りの床のフェイジョン、モロコシ、コメ、ジャガイモの袋や、タマネギとニンニクのレスチアの山に埋もれ、くもの巣がかかり、煤でよごれ、傷んだままの漆喰塗りの壁に囲まれ、梁の落ちかけた天井の下で、シャツ姿で働き、体でかせぐ金。名誉の代わりに得るもの、それは金だ。
荷馬車やトラックが麻袋やレスチアを積んだり降ろしたりしている。みんな同じ。いつでも同じだ。長い通り一帯がすべて袋物とレスチアなのだ。乾いた埃くさいレスチアのあの臭い。人の息のように穀物が発散する臭いがあたりに充満し、窒息させるように無気力によどむ空気。これが北西地区である。
茶色のトーン。荷馬車の茶色。茶色の麻袋のなかにまぎれて見える茶色のセーターの男。その男にむちを振られるロバも茶色である。
静寂の中の茶色のトーン。静寂もまた茶色である。汚れた麻袋の土色の静寂。
静寂。茶褐色の大型トラックのギアの軋り音。急な石畳をのぼるラバのひづめの鉄と石がこすりあう音。人間の声などない。
この職業的な静寂の中を、労働者たちが通る。止まったエンジンのようにのろのろと単調に無表情に行く。無言である。このやってきては通り過ぎる男たちはどこの人間なのだろう。どんな祖国から逃亡してきたのだろう。祖国の言葉はどんなリズムを奏でるのだろう。
――Te lo juro!(テ ジューロ)
目より先に耳にスペイン語が飛び込んできた。のどから出るモーロ語の〃J〃。そのJが男を描き出した。分厚い松の実色のズボン、よろつく足元、骨太の胴体、上着なしでボレロのように前をはだけたチョッキには、銀の鎖と銀貨がぶらさがり、それに木綿の縞のシャツ。後ろにずりさがった修道僧か闘牛士のような帽子。ケーべトのピカレスト小話を語るようないやらしく恥知らずなまつげのない目、わずかに開いた口で何かを誓っている。
サンパウロ中の古い麻袋を買う男たちは例外なくこうだ。そこら中にいる。裏庭のぶら下がった洗濯物がおどるなか、さびたブリキ缶に囲まれて破れた袋を長い針と長い糸で、長い時間をかけて繕うばあさんがいる。
彼らはやってくる。
近くのサンビット教会の鐘が、カテキズムの勉強に子どもたちを呼んでいる。教会の明かりが聖人像のあいだに見える。そして小さい坊主頭といらいらと不機嫌な先生の頭が見える。
彼らはやってくる。
弱い足をゆっくり運んで。がぶがぶの厚手の布地のなか。目を病んでいる。けれども赤い目のふちの中で、ときには黒いめがねの中でいつも笑っている。
麻袋の買い手。籐編みの職人。――彼らはやってくる。老人がひとり狭い背中に、茶色の畳まれた麻袋運んできた。べつの年よりはしぼんだ肩にオーストリア椅子を抱え、手にはイグサの束をもっている。
彼らはやってくる。
床屋の番だ。フィガロさんはこの近くのベンジャミン・オリベイラ街に住んでいる。広い扉のある一画だ。二つの鏡の前に椅子二つ。奥には厚手のプリントのカーテン。「ご婦人用」(フィガロさんも進歩したもんだ)戸口には体格のよい男――スペイン人の若者――が新聞を読んでいる。フィガロは小話を聞かせながら、そのかみそりの刃先に客の命を預かる。剃る。まるでオペラを演じているように客の顔は青くなる。(つづく)
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