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白血病のサラちゃん逝く=乳癌の母と母子闘病の末

 【既報関連】8月21日付サイトで紹介したリオ・グランデ・ド・ノルテ州クライス・ノヴォスに住む9歳のサラ・ダンタスちゃんが13日未明に亡くなり、大勢の人が通夜に集まった。
 サラちゃんは13年9月に白血病と診断され、骨髄移植を望んでいたが、父親のヴァウミールさんとサラちゃんの兄は型が合わないため、母親のデニウザさんの骨髄を移植するつもりでいた。
 ところが、今年6月に検査をした際、デニウザさんも乳癌である事が判明した。「ぱっくりと口が開いた地面に飲み込まれそうな気分だった」というデニウザさんは、自分自身も闘病生活に入り生活が一変。サラちゃんと二人で闘病するためには病院がある州都ナタルにすんだ方が良いと判断し、クライス・ノヴォスから引っ越すと共にヴァウミールさんが軍警を休職。サラちゃんの世話はヴァウミールさん、デニウザさんの世話は彼女の母親がするという状態が続いていた。
 デニウザさんはサラちゃんへの骨髄提供を諦めたが、サラちゃんと共に吹き込んだゴスペルのCDを売って治療費を捻出。骨髄移植を申し出たドナーの全国リストの中から適合者を探したりしていたが、サラちゃんは約1カ月前に肺炎を起こしてヴァレラ・サンチアゴ小児科病院の集中治療室に入院。13日未明に容態が悪化して帰らぬ人となった。
 サラちゃんの葬儀は13日にクライス・ノヴォスのコルテズ・ペレイラ・スポーツセンターで行われ、何千人もの人が別れの時を持った。葬儀の場では母親のデニウザさんがサラちゃんと共にCDに吹き込んだ歌の一つの「メウ・バルキーニョ」を歌い、ヴァウミールさんがサラちゃんが亡くなった直後にこの曲を口ずさんだ事などを証しした。
 サラちゃんの遺体は同日午後、市内のノッサ・セニョーラ・デ・ファッチマ墓地に葬られたが、葬儀の場から墓地までの道は、遺体を載せた車と共に歩く人の群れで埋め尽くされた。
 サラちゃんへの骨髄移植には8月のうちに12人の適合者が見つかり、その内の一人から移植を受けるための種々の検査が行われた。ところが、移植の準備が全て整った時には、サラちゃんは既に肺炎を起こして入院していた。移植そのものはサラちゃんの回復を待って行われる筈だったが、今ではそれも叶わぬ夢となってしまった。(13、14日付G1サイトより)