2006年12月16日付け
今月九日にサントス市で行われた、旧サントス日本語学校の返還に関する署名式。テレビでその模様を見た上新(かみ・あらた)さん(84)も喜びをかみ締めた。
サントス日本人会の前会長で長年返還運動に携わってきた上さんによれば、同日本人会は一九二九年に設立されているが、日本語教育はその以前の二八年ごろから行われていたという。
上さんは九日に旧校舎で行われた同敷地の使用権を認める文書の署名式には出席できなかったが、テレビのニュースでその模様を見たそうだ。「良かったな、と思いましたよ」と感懐を表わした。
二〇〇三年までの会長在任中、二十五年間にわたって旧日語校の返還運動に携わってきた上さん。「いろいろなことがありましたね」と往時を振り返る。
戦後五二年に再開された同日本人会では、初代会長の故・中井茂次郎さんの時代から返還運動を展開。その後、五代を経て会長に就任した上さんは、それまで未登録だった日本人会を正式に登録した。
サントスと下関市が姉妹提携を結んだ際に当時のオズワルド・ジュスト市長に学校のことを話した。その時には、同地生れの市長もその事実を知らなかったという。
その後も、市長在任中から運動に協力してきたテルマ・デ・ソウザ連邦下議、サン・ビセンテ市長をつとめた伊波興佑元下議、地元市議などの協力を得て運動を続けてきた。
そして迎えた返還の日。今回署名された文書は、同敷地と建物の使用権を日本人会に認めるものだが、「これからどうやるかによって、(全面返還についての)交渉もやりやすくなると思います。ブラジルのためになるようなことをしていったら、認めてくれるんじゃないかな」と前向きな見方を示した。
「これからは二世三世の若い人たちにもやってほしい。夢ですよ」と話す上さん。現在まで、まだ旧校舎の中に入ったことがないという。「外から見ただけです。またそのうちに行ってみようと思っています」と話していた。
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十三日付けの旧サントス日本語学校返還に関する記事で、同学校の創立を一九三九年と記載したが、二八年ごろの誤りだった。読者から指摘があった。