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理性で判断と思いきや…=投資家に潜む非理性のワナ

2006年12月13日付け

 【フォーリャ・デ・サンパウロ紙十一月二十七日】時代は労働者党(PT)第一次政権獲得からルーラ続投時代へ移ろうとしている。この新時代をどう泳ぐか。経済動物「人間」は理性に従ってものを考えるのが常識というが、その反対の非常識もまた是なり。
 理性と感情について経済の面から考察すると、誰でも苦い経験があるはずだ。絶対と信じて実行したことが失敗し、赤字になって長年の蓄積がスッテンテンになった経験である。心理学では、決心に至る経緯と、決心後の措置と結果を次のように説明する。
 心理学では理性人間に平行して現実人間を登場させる。現実人間は理性的ではない。精神科医には資産運用が原因の問題が、ひんぱんに持ち込まれるという。相談を伺うと理性に従って投資をしたが、実際は非理性的失敗に陥ったと述懐した。
 非理性とは何かということだ。非理性の代表は、自信過剰やわが道を行く型、唯我独尊、責任回避癖、二重帳簿の現実逃避など。それは投資家のものの考え方と見方に、立脚した問題といえそうだ。
 心理学の中に経済心理学というのがある。経済や通貨は独自に存在するのではなく、多くの要因の中で相互関係を保ちながら存在すると考える。自己資金の相互関係、一国の経済とその相互関係を検討するのが経済心理学だ。
 ほとんどの投資家が抱える問題は、単に有望株を探すこと。家庭の主婦は、最低の労力で最高のヘソクリを得ることしか考えない。投資先の将来性は忘れる。なぜなら、将来なんて当てにならないからだ。
 全ての商品、株、自動車、不動産につけられる価格の客観的評価は難しい。市場に公開されるまでに、どれほどの労苦を費やしたか。まして将来人類にどんな貢献をするかを測るのは、さらに難しい。
 理性人間を自認する人間が集まって労苦と貢献のデータを収集しても、十人十色の見方があり、客観評価の基準を作ることは不可能と思われる。これが理性の実体といえそうだ。現実人間にとって、理性によって行動する経済動物「人間」は存在しないというのが心理学の結論らしい。
 反面、経済学の見地から人間とは、今日の進歩をもたらした霊長動物なのだ。ゲノム(生命)工学なるものが生まれ、聖域とされた生命の創造に挑戦している。大悲劇と大きな犠牲を繰り返しながら、取捨選択をするのが人間ではないだろうか。
 心理学では、投資益とは痛みを伴う幻想だという。金融投資の世界は、地球という檻の中で行われる幻想ゲームといわれる。損得は瞬間のゲームで儲かったら幸運であり、損も瞬間の出来事で対応が雑音のために迷わされただけなのだ。一レアルの損は、一レアルの儲けより三倍のショックを受けるという。
 証券市場でボロ儲けした話は出るが、大損の話は出ない。大損をした投資家は先祖代々の財産を失い、妻子に捨てられ、社会の片隅でボロボロになっている。自分が失った資産は誰かの懐に入り、誰かが酒池肉林で贅を尽くしている。
 投資の判断基準を聞くと、人間の理性なんて虚像に過ぎないことが分かる。株の購入理由を調べたところ、友人が進めたとか三カ月続騰したとか社会的に有意義だとか、理性とは程遠い答だ。生産経済を除く金融経済は虚の経済で、幻想の世界の出来事だ。しかし、人々はその結果に一喜一憂し、煩悶する。それを解決するには、山の中で遁世するしかないようだ。