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コラム 樹海

2006年12月9日付け

 12月8日は「 八会」であり、禅宗では12月1日から 八接心と称しほとんど不眠不休で坐禅に打ち込む。この厳しい修行は8日朝まで続き、この日になってやっと昆布や串柿などを混ぜた五味粥にありつけるのだそうな。釈迦が8日早朝に悟りに達したという伝えを尊ぶ法会だが、禅寺の僧堂も接心に懸命な僧らの只管打坐に―静けさだけが満ちる▼「 八会」の歴史は古いが、12月8日は日本人にとっても大切な日である。ちょうど65年前のこの日、ハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃し大東亜戦争(太平洋戦争)が始まった。山本五十六司令官が率いる連合艦隊が猛攻を加え甚大な被害を与えた記録は今に残る。淵田美津雄中佐を隊長とする航空隊が爆撃で米艦隊を襲い特殊潜航艇による死の攻撃も戦果を挙げた▼勿論、批判はある。攻撃の陣頭に立った第1航空艦隊長官の南雲忠一中将が、なぜ第2次、3次攻撃に踏み切らなかったのかと疑問を提起する声はかなり高い。山本司令官の秘策―真珠湾攻撃を批判する向きもいる。だが―あのおぞましい戦争は、東条英機首相の責任とかを論ずるよりも、時の趨勢が生み出した悲劇と見た方がいいのではないか▼政府だけではなく国民も新聞までが米と戦えであった事実もきちんと胸に留めたい。工業と経済力の格差から勝利は望めないという議論もあった。それでも闘わざるをえなかった苦悩と悲しみこそを語り継ぐべきではないのか。戦争に敗れ苦労は多かったけれども、今や未曾有の繁栄を享受できるようになった。そう考えながら「真珠湾攻撃」を捉えたい。    (遯)