2006年12月8日付け
すずめ踊りをブラジルに広めたい――。JICA青年ボランティアの日本語教師としてパラナ州パルマス市の日本語学校に赴任している松岡美幸さん(34)は、郷土の伝統芸能であるすずめ踊りをブラジルに普及しようと活動している。任期も残り約一カ月となった今、二年間の任期を振り返ってもらうと同時に、すずめ踊りへの思いを聞いてみた。
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踊ることが大好き――。
宮城県仙台市にある老舗料亭で生まれた松岡さんは、小さいころから芸者や歌舞伎役者の踊りを見て育った。すずめ踊りで有名な地元の青葉祭りにも毎年出かけた。「とにかく踊りは身近にあった」。
サルサなども練習していた松岡さんは四年前、友人の誘いを受けて地元の強豪すずめチーム「日専連」に入り、腕を磨いた。
日本以外にもこの踊りを伝えたいと思い始めたころ、図書館でたまたま七夕祭りがブラジルにもあることを知った。「どうして仙台発祥の七夕祭りがブラジルにもあるんだろう」――。
以前から日系人に興味を持っていたこともあり、この時点から大きく気持ちはブラジルに傾いていった。英語教師の仕事をやめ、JICAの試験を受けることを決意。猛勉強のすえ、見事一発で合格した。
赴任当初はポルトガル語が分からず、もどかしいことも多かった。しかし、ブラジルに来ることに不安は無かった。「いけば必ずいい人たちに巡り会えるから」。
日系家族が三十ほどしかない赴任地のパルマス市。日語校の生徒は約二十人。この小さな移住地で日系二世の女性教師と二人で毎日、日本語を教えてきた。
赴任して三カ月たった頃、すずめ踊りを生徒たちに教えようと計画。自前の衣装を着て踊り、子供たちに見本を見せた。しかし、反応は思ったよりもよくなかった。
話によれば、同地はサンタカタリーナ州のりんご農家の一部が戦後に移り住んだ小規模な日系移住地。日本的な祭りは開催されていない。「盆踊りも知らない子どもたちなんです。踊りを見せたらキョトンとしていましたよ。恥ずかしがって一緒に踊ろうとしないんです」。
赴任地での普及はうまくいかなかったが、「機会があれば大好きなすずめ踊りを広めたい」という思いはずっと変わらなかった。日本から持参していた衣装と音楽CDは、いつでも使う用意ができていた。
任期も終わりに近づいた今年の中ごろ、踊りを広めたいと気持ちが再燃。県連が七月に主催した日本祭りでも同期の青年ボランティアを呼びかけて踊った。もの珍しさもあって多くの人が観てくれた。
また九月ごろからは、バスで遠く離れたパラナ州のカルロポリス市やマウア・ダ・セーラ市を訪れ、後継者を育てようと、地元の婦人部や青年ボランティアに踊りの指導をおこなった。
「ブラジルの大地にすずめ踊りの種が植えることができた」――。そんな実感も沸いてきた。
任期最後の授業を終えた今月。サンパウロ市を訪れる際に以前から世話になっていた宮城県人会から、郷土の青葉祭りにちなんだ祭りをやると連絡を受けた。同祭にはすずめ踊りがつきもの。「ぜひ一つすずめ踊りを披露してほしい」と。
それを受けて松岡さんは早速、サンパウロへやってきた。祭りの開催日となる今週末の十日は、日語校の生徒たちとの最後の遠足があるため、踊りを披露することができない。しかし、代わりに舞台に立つリベルダーデ商工会の会員に、短期集中で踊りを指導した。
めきめき上達する青年や子どもたちを見て「発表の日も一緒に踊りたかった」と少し残念そうだ。「でもきっと将来、彼らがすずめ踊りを広めてくれる」。そんな期待が持てた。
約二年間の任期を振り返り「本当に人の温かさを知った」と松岡さん。任期後は後に続く人たちにその経験を伝えていきたいという。そして最後にこう話してくれた。「帰国後もすずめ踊りは必ず続けます」。
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『すずめ踊り』仙台すずめ祭り実行委員会のホームページによれば、同踊りは慶長八年(一六〇三年)、仙台城移徒式の際に、藩祖伊達政宗公の御前で泉州堺出身の石工が即興で踊りを披露したのがはじまりといわれる。
踊る姿が餌をついばむ雀に似ており、伊達家の家紋も「竹に雀」であることから「すずめ踊り」と呼ばれる。毎年五月の「仙台・青葉まつり」など、様々なまつりやイベントで披露されるこの踊りは、各祭連が工夫を凝らした振り付けやお囃子で競い合う。