2006年12月7日付け
「百周年には、ぜひ天皇皇后両陛下に再びいらしていただきたい」。サンパウロ市の日系五団体主催の天皇誕生日祝賀会が六日午前十時から、ブラジル日本文化福祉協会の貴賓室で行われ、一足早く約七十人がご生誕を祝い、そのような声が方々で聞かれた。正午からは在サンパウロ総領事公邸でも日系団体とブラジル社会の代表ら約四百人の賓客を招き、祝賀昼食会が盛大に行われた。さらに、ブラジル日本会議も本来の誕生日である二十三日の午前十一時からサンパウロ市のニッケイパラセホテルで行う。
貴賓室には、この日にしか公開されない両陛下の大きな肖像画が奉掲され、揃いのサーモン・ピンクのワンピースを着た文協コーラス部の女性約三十人のリードにより、両国国歌が厳かに斉唱された。
この『皇太子・同妃両殿下御肖像画』(現両陛下)は、文協の依頼で、日本の有名な画家、宮永岳彦画伯(1919~1987)が特別に宮内庁の許可をもらい七四年に描いたもの。
それぞれが六十号という大作で、明治以降、日本人で宮内庁の正式な許可を得て天皇家を描いたのはこの作品だけ。二紀会理事長まで務めた宮永氏の代表作という貴重なものだ。
第百二十五代の天皇陛下は二十三日に七十三歳を迎えられ、在位十七年となる。皇太子時代の六七年と七八年、さらに天皇陛下として九六年にご来伯されている。
司会の関根隆範副会長は「平成天皇は、過去のどの天皇陛下にもなく、度々ブラジルを訪問され、三度にわたるご来臨を受け、その後も多くのブラジル日系人が皇居でのご拝謁の栄を受ける機会をもたらしてくれました」と開会のあいさつでふれ、「千代に八千代に続く日本国の繁栄と、ブラジルとの両国の発展を祈念したい」とのべた。
六団体を代表し、文協の上原幸啓会長は、「日系コミュニティを代表して、天皇陛下のお変わりなきご健勝と、御皇室の弥栄(いやさか)を心より祈念もうしあげます」と祝辞を述べると共に、「二〇〇八年の移民百周年記念式典には再度ご臨席を賜りたく、鶴首して待ち望むものであります」とのお願いも語った。
在聖総領事館の丸橋次郎首席領事は、「陛下はブラジルの日系社会にひときわ親愛の情を示されている」とし、島内憲大使がブラジルに着任する前に天皇陛下から「日系社会のみなさんによろしく伝えてください」との言葉を預かってきたことを紹介した。
〇四年に着任した首席領事は、「最初は百周年まであと三年、今年はあと二年と言ってきたが、もうすぐ〃あと一年〃になる。皇室のどなたがいらっしゃっても、日系社会一丸となってすばらしい記念式典を」と語った。
続いて、サンパウロ日伯援護協会の酒井清一会長が万歳三唱、ブラジル日本都道府県人会連合会の松尾治会長(百周年執行委員長)は「来年は亥年。百周年の準備のために猪突猛進で邁進しましょう」と呼びかけてから全員で乾杯した。
今も明治天皇からの歴代のご真影を会館に飾るブラジル日系老人クラブ連合会の会長代理、五十嵐司副会長は「今年はご親王が誕生されてよかった。おめでとうございます」とお祝いの言葉を贈った。
文協、援協、県連、日伯文化連盟、老ク連の共催で、各団体の代表者らが合わせて約七十人出席した。
正午からサンパウロ市モルンビー区にある総領事公邸で昼食祝賀会が行われ、日系主要団体や県人会会長、エリゼウ・エクレール・テイシェイラ・ボジェス軍警総司令官、ウイリアン・ウー市議、野村アウレリオ市議、州政庁や市役所の代表ら約四百人が詰めかけ、日本食を堪能しながらご生誕を祝った。