2006年12月2日付け
【エスタード・デ・サンパウロ紙十二月一日】ナイジェリアのアブジャで開催された南米アフリカ首脳会議に出席したルーラ大統領は三十日、徒労だとの批判を浴びながら帰国した。アフリカ大陸やアラブ諸国への接近を図ろうとした政府の外交政策は、野党やマスコミから、国連安保理の常任理事国入りや世界貿易機関(WTO)の轍を踏む拙劣外交であるとの批判を浴びた。ブラジルが政治力や経済力の格差が少ない国との新グロバリゼーションを試みるなら、これら発展途上国をまとめる戦略同盟をまず立案するべきだという。
南米アフリカ首脳会議は二十九日と三十日、六十六カ国の首脳二十五人と代表を集めて行われた。ルーラ大統領は、同首脳会議が貧乏国会議であるから媒酌人は不要だと述べた。会議の目的は、国連の安保理改革であったらしい。
会議の開催が唐突であったことで、この種の会議は各国の抱える問題や意見の調整を図ることもなく、共同宣言を発表するためでもないと、大統領は言い訳をした。ただ政治の当事者は時々集まって、よりよき時代を築くため意見交換をする必要があるという。
チャベス大統領やキルチネル大統領など、南米首脳四人は欠席した。アフリカ諸国から参加した首脳は、半分以下。出席が期待されたアルジェリアのブテフリカ大統領と南アフリカのムべキ大統領は、姿を見せなかった。
会議は、アフリカ代表五十四人と南米代表十二人で開催された。遺伝子組替えの承認と国連安保理改革では全員合意したが、ブラジルの常任理事国入りについては不協和音が生じた。ルーラ大統領は席上、EUの農業補助金システムが南米やアフリカ諸国の産業発展の妨げだと訴えた。
会議に五十五分も遅れて到着したリビアのカダフィ大佐とルーラ大統領は、四〇分も油を売った。リビアの石油生産へのペトロブラスの参加認可と、米軍によって一九八〇年に爆撃されたトリポリ市内の修復工事をブラジルのゼネコンが請け負うことなどを決めた。
ブラジル外交研究センター(CEBRI)のゴンサウヴェス所長は、首脳会談の開催にはルールがあるとし、戦略がなく奔走するだけで成果のない政府の外交政策は空回りしていると述べた。確固たる裏づけがないから、単なる奉仕運動になっていると酷評した。
ブラジルは十五の外交問題に取り組んでいるが、子供の使いである。難問を出されると、会話ができない。確固たる裏づけ調査をしないからだ。現在の外交政策は軍政時代のもの。メジシ大統領の政策では、十人の大使がアフリカへ赴任し、昼寝をしていた。現地調査をしていないからだ。
政治家の悪い癖で、成果よりも国民に受ける格好よさを求める。下準備もしていないのに、やたら首脳会談を呼びかける。国家はつねに新しい領域や新しい仲介者を探し、国力の発揚を図る。そのためには、目的に向けた下準備とインフラ整備が必要である。それが、ブラジルにはない。
ブラジルはバンデイランテスの国だから、奥地への進出や領土拡大には非凡な才能を発揮するが、その後の管理ができない。管理する組織も財源もないからだ。ブラジルの歴史はそれの繰り返しらしい。