イラクの混乱は凄まじい。23日に首都・バクダットで起きた連続車爆弾テロでは215人が死亡、257人超が負傷するという大惨事だった。宗教的な対立による抗争であり、被害を蒙ったのはシーア派で攻撃はスンニ派武装勢力とみられている。兎にも角にも「殺す」か「殺される」の激烈な紛争であり一般人の理解を越える▼国連イラク支援団は「10月には民間人死者が3709人に達し過去最悪を記録した」と報告している。尤も、イラクのシャンマリ保険相は、報告書は「大げさな数字」としたうえで実際の死者は四分の一程度と否定しているし、どちらが真実なのかはよくわからない。しかし、米兵の死者は開戦以来2800人超だ、宗教的な殺し合いによる罪の無い市民の犠牲は悲しくも哀れである▼1人を殺せば批判され兵100人を殺害すれば勲章とされる。が、戦争というものは殺戮を演ずる悲喜劇なのは古今東西変らない。あの広島と長崎では一発の原爆で10数万を超える市民が爆死し非難の声は続く。だが―である。将来も原爆が使用されないとは言い切れないのが現実なのである。哀しくも恐ろしいけれども、この厳しさをきちんと見つめる大切さをも学びたい▼レバノンでは反シリア派で知られる産業大臣が銃で暗殺された。ガザではパレスチナの64歳女性が自爆しイスラエル兵3人が軽傷を負ったの報道もある。日々を平和に暮らす人々の常識と想像を絶する「異常な世界」が、戦争の実体であり、政治的な緊迫が齎す「異様な風景」とでも理解しないといけないのかもしれないけれども―。 (遯)
2006/11/28