ホーム | 連載 | 2007年 | 身近なアマゾン――真の理解のために | 身近なアマゾン(10)――真の理解のために=アマゾンで凍える?=雨季と乾季に〝四季〟感じ

身近なアマゾン(10)――真の理解のために=アマゾンで凍える?=雨季と乾季に〝四季〟感じ

2006年11月9日付け

□アマゾンの四季(2)□
 この時期、こんな寒いサンパウロにいると、アマゾン河を中心にした北の地方で熱帯魚出荷の最盛期を迎えている、という実感がわかず、マナウスやベレンから送られてくる熱帯魚を空港に取りに行ったときなど、寒さでブルブル震えることがある。
 サンパウロを中心に考えると、寒くなる五月から春になる十月までは、サンパウロを基点にして大体千キロ以上、北(この国では北が温かい)に移動しないと暖かくならない。それが熱帯魚といわれる、カラフルな魚たちの生息範囲かと考えている。
 それでは赤道地方の熱帯アマゾンに四季はないのか、という疑問が出てくる。動物でも植物でも、生き物はすべて生息環境による生活サイクル、所謂体内時計をもって生まれてくる、と考えられている。南極とか北極地方であれば、地軸の移動で確実な気候の変移が分かるし、我々日本人の住む温帯では確実な四季が存在している。
 筆者がこの仕事を始めた十五年前頃は[この熱帯地域に季節なんてないのだろう]と考えていた。がしかし、アマゾン地方を度々訪れることで、それが間違っていることが、だんだん分かってきた。
 赤道付近に広がる熱帯地方には、四季という周期的な温度差は明確には存在しないと思う。年中暑い。しかし、熱帯性低気圧(当地ではテンポロンという)があちこちでしょっちゅう発生しているので、その熱帯性の嵐が通った後は〔これがアマゾンか〕と思うほど冷え込んだりする。アマゾンで凍えることがある、というのは本当の話だ。
 熱帯低気圧が通過したあと、しばらくは寒いのだが、日が当たり始めると、また灼熱の熱帯のサウナに戻るわけだ。
 それでは熱帯雨林気候での四季はどうなのだ、というと、熱帯圏には温度差による四季がないかわりに、一年の周期として雨季と乾季にはっきり分かれる、という明確な季節変化が存在する。熱帯雨林では太古の昔から、その雨季乾季の周期に沿って、動植物のサイクルが決められているようだ。
 アマゾン採集を始めた頃、現地の漁師が説明してくれた。
[アマゾンに四季はないけど、我々は、雨の降り始める頃を秋といい、毎日雨が続いて川の水位が最も上がった頃を冬と呼び、雨の間隔が広がり始め、水位が引き始めたら春が来たという。最も水位が低くて雨がなかなか降らない頃を、我々は夏というのです]と説明をした。
 無知だった筆者の目からは、ボロボローっとウロコが落ちた気がした。
 この現象は温帯地方の四季と同じようなもので、年によって毎年微妙に違っているが、おおよその周期は狂うことがない。ゆえに、我々のような熱帯魚漁師が活動できる季節というのは、春が始まって水が引き始めて一、二カ月が過ぎた頃から、雨が降り始める秋の始まる頃まで、ということになる。
 ここ数年、筆者はアマゾン河支流でマナウスの町から北方面の赤道を目指して北上しているネグロ川(黒い川)というアマゾン河の一大支流に採集に通っている。
 この川がネグロ川というのは、ネグロという言葉どおり、流れる水はコーヒー色をしていて、不気味な流れなのだが、黒い水が太陽光線を反射するのか、水面が鏡のようなそのネグロ川の春、雨季が終わった頃、というのは全ての樹木が若草色に燃えて、本当に素晴しい景色になる。ここネグロ川の季節変化の素晴らしさはまた格段の違いがある。
 ネグロ川の話は、始めれば長くなるので、回を改めて特記してみたいと考えている。つづく (松栄孝)

身近なアマゾン(1)――真の理解のために=20年間の自然増=6千万人はどこへ?=流入先の自然を汚染
身近なアマゾン(2)――真の理解のために=無垢なインディオ部落に=ガリンペイロが入れば…
身近なアマゾン(3)――真の理解のために=ガリンペイロの鉄則=「集めたキンのことは人に話すな」
身近なアマゾン(4)――真の理解のために=カブトムシ、夜の採集=手伝ってくれたインディオ
身近なアマゾン(5)――真の理解のために=先進地域の医療分野に貢献=略奪され恵まれぬインディオ
身近なアマゾン(6)――真の理解のために=元来マラリアはなかった=輝く清流に蚊生息できず
身近なアマゾン(7)――真の理解のために=インディオの種族滅びたら=言葉も自動的に消滅?
身近なアマゾン(8)――真の理解のために=同化拒むインディオも=未だ名に「ルイス」や「ロベルト」つけぬ
身近なアマゾン(9)――真の理解のために=南米大陸の三寒四温=一日の中に〝四季〟が