ブラジルとの国境から四十キロ地点に広がるパラグアイ・イグアス移住地(Colonia Yguazu)で植林意欲が盛り上がりを見せている。移住地の老人会、日語校の生徒たちがそれぞれ木を植え、自分たちの「森」を作る試み。〃緑の遺産〃を残すための行動の始まりだ。
十月十二日、同地の老人クラブ「鶴寿会」(菅原祐助会長・岩手県)の会員が先陣をきって植林を行った。イグアス移住地の創始者たちだ。
この植林には日本人会の役員も参加。参加者は一人で十本以上の苗木を植え、その脇に自分の名前を書いた名札を立て、満足した表情だった。自分たちが植えた場所を『鶴寿の森』と命名し、孫や曾孫にも等しい苗木の成長を見守ることにした。
移住地で最年長の佐々木幸治さん(九十五・岩手県)は「入植四十五周年の記念と、今まで生きてきた証(あかし)として植樹をすることができて良かった」と述懐していた。
「年寄りの力は微々たるものですが、一本の苗木でも自然を取り戻すきっかけとなってくれるとうれしいですよ」。山本テルさん(八十一・宮城県)の心情だ。
翌十三日には日本語学校(堤和子校長・青森県)の上級生たちが総出で苗木を植え、『子供の森』が誕生した。
六年生の感想文には、「僕はラパーチョとマンゴの木を一人で十本植えた。二十年、三十年たったらどんなでかい木になるか楽しみだ」(関富博)、「四、五、六年生と先生が一つのバスに乗って行ったので、ギュウーギュウーだった。着いてから植え方を教わって植えた。終わってから記念写真をとった。つかれてのどもかわいたけど、すごく楽しかった」(大野友里恵)、「いっぱいのミミズがいた。でも、木を植えた。もういちどいきたい」(アキノ・ミルレン)など率直な感性が表れていた。
二十一日には日本語学校高等部の生徒たちが頑張った。自分たちの環境意識を保つために『青年の森』と名づけた。
この季節に植えられた樹種は合わせて二十二種類だった。小学生の感想文にもあるように、やがて種子を運ぶ鳥類を森に招くため数種類の果樹も植えられた。
イグアス移住地にこのような植林意識を導いたのは九月下旬に同地を訪問したブラジルからの「移民のふるさと巡り」一行だ。一行八十四名は交流会に先だって、日本人会が用意した土地に植林を済ませた(本紙・九月二十八日報道)のだ。これが『交流の森』となった。
「大豆の里」としても国内外に広く知られているイグアス移住地では十月中旬を過ぎて大豆栽培の季節が到来しているため、今年の植林の季節は終わろうとしている。が、移住地の文化の顔の一つである和太鼓の製作者と演奏者が『太鼓の森』植林を計画している。
パラグアイで初めて日本経団連自然保護基金(本部・東京)の助成を得たイグアス日本人会(福井一朗会長)。わずか半年の間に五つの森を誕生させたことは大きな成果、と言えよう。
イグアスに5つの森=パラグアイ=盛り上がる植林活動=移住地に残す〝緑の遺産〟
2006年10月31日付け