2006年10月26日付け
兵どもの夢辿る――。高等拓殖学校卒業生(高拓生)入植七十五周年式典がアマゾナス州パリンチンス郡ヴィラ・アマゾニア地区の市立ツカサ・ウエツカ学校で行われ、上塚司の孫にあたる上塚芳郎氏、マナウス総領事館の瀬川進総領事、汎アマゾニア日伯協会の小野重善会長、パリンチンス日伯協会の武富マリオ会長、ベレン高拓会関係者ら約百人が出席した。高拓生が開拓に汗したアンジェラ植民地も訪れるなど、アマゾン開拓の夢に燃えた高拓生の足跡を辿る式典となった。残念ながら今回、高拓生の参加はなかった。式典を計画、実施したアマゾン高拓会の丸岡ロベルト会長は、「高拓生がいなくなっても八十年、九十年と節目を祝っていきたい」と思いを新たにしていた。
式典に先駆け、関係者らは午前八時半から、多くの高拓生が眠るパリンチンス市内の墓地を訪れ、献花を行った。ベレン、マナウス、パリンチンスを始め、サンパウロ、パラナからも関係者が出席、墓前で冥福を祈った。
一行は船に乗り込み、式典の会場となったヴィラ・アマゾニアにある市立ツカサ・ウエツカ学校に向かった。〃アマゾン開拓の父〃である上塚司の名を関した同校は、一九三〇年に建設されたアマゾニア産業研究所跡を利用し、今年三月に開校。同研究所には第一回高拓生四十七人が入植しており、まさに高拓生発祥の地で節目を祝うこととなった。
カトリック形式でミサが執り行われた。式典当日ははちょうど上塚司氏の命日にあたる。
式典でメシアス・クルシーノ・パリンチンス副市長は、「七十五年前に入植した高拓生は農業の開発、ジュート栽培などで活躍、パリンチンス市の発展に尽くした」と評価、農業研究所が戦争のため接収された経緯にも触れ、「学校として生まれ変わり、ヴィラ・アマゾニアの教育の場となったことは意義がある」と話した。
瀬川マナウス総領事、市立ツカサ・ウエツカ学校のエリアス・モウラ校長らがそれぞれあいさつ。現在小学校として約六百人が学んでおり、モウラ校長は将来農業の学校として活用したい考えだという。
七十周年式典にも訪れた上塚芳郎さんは、「高拓生の夢とは違った結果になったかも知れないが、ジュート栽培の成功があった。祖父の命日に式典が行われたことに縁を感じる」と話し、上塚氏や入植当時の写真を約十枚、学校に寄贈した。
丸岡会長は、遠方からの出席者に感謝の言葉を述べ、「七十五周年を祝えたことは本当に嬉しい。学校に上塚司の名前を冠したこと、そして学校として使われることで高拓生の歴史が残るだろう」と喜んだ。
一行は再度乗船、高拓生らが斧と希望で開拓の夢を燃やしたアンジェラ植民地を訪問した。兵ものどもが夢の跡――。草生した入植跡にはグアラナ栽培を行う日系一家族が住んでいるという。
ベレンから訪れた小林ジュンコ、原田キョウコの両高拓生未亡人は、「今回が最後の訪問と思って来た」と話し、開拓を支えた当時を懐かしんだ。
一行は、アマゾン川を臨んだ河畔でタンバッキーなどの昼食に舌鼓を打ち、歓談を楽しんだ。
パリンチンス市に戻り市内レスラトンで夕食会を開き、山焼き、亀やワニを捕る高拓生、入植記念祭、上塚司氏など記録映像十三分が流された。
三四年に父、京(たかし)さんが入植した丸岡会長は「よくあんなジャングルに入って頑張ったな」と話した。
アマゾン高拓生は現在五十家族。丸岡会長によれば、高拓生の生存者は数人だという。「高拓生の子供である我々は幼馴染みで仲がいい。結束を強くし、これからも節目節目は祝っていきたい」と決意を新たにしていた。