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新たな「日本人公園」誕生=サンパウロ市議会が8月に改名=地元日系団体清掃始める=名前に恥じない場所に

2006年10月18日付け

 サンパウロ市議会は今年八月、カショエリーニャ区内の公園を正式に「日本人公園」(ラルゴ・ド・ジャポネーズ)と定めた。二年前から同地の日伯文化協会が中心になって三千人分の署名を集め働きかけていた活動が実った。以前は「プラッサ・マヌエル・ダ・ネグレイロ」という名前だった。今回、市議会の決議をきっかけとして、近隣の日系人らが公園の清掃を始めるなど、名前に相応しい活動が行われている。
 公園が位置しているのは、六つの道路が交わる交差点のちょうど真ん中。二十メートル四方程度の楕円形の園内には石で作られた、いくつかの机やベンチが備えつけられている。周りを囲むようにある背の高い木が木陰を作り、園内は石で小奇麗に舗装されていた。
 公園の端にはバンカと、二十四時間警察官が詰めている交番。周辺にはいくつかの銀行が並び、人や車が途切れることなく流れている。トランプをして遊ぶ人、ベンチに腰かけて話し込む人、買い物帰りの人らで、公園内は住民の憩いの場所になっている。
 カショエリーニャ日伯文化協会元会長のフクヤ・ノリヨシさんは「名前はよく思い出せないけど、広場があって、通称がラルゴ・ジャポンだったんだ」と振り返る。
 市議会で「日本人公園」と改められる以前には別の名称がついていたが「ラルゴ・ジャポンといえば、街の人は皆わかる」ほど知れわたっていた。
 昔を知る山下繁義さん(一世、72)は「今はないけど公園の脇に日本人のパン屋があって(日本人は)よくそこに集まってたから」と名前の由来を説明する。
 同地には一九三三年に日本人が入植。四三年ごろには大和植民地と呼ばれていたが、六二年にカショエリーニャとして日伯文化協会を設立し、三年前に入植七十周年を迎えた。
 「二年前くらいから、名前を変えようって署名活動を始めて、三千人分くらいを議会に出したんだ」とフクヤさん。現会長のジェルソン・クニさんを中心に、日系、非日系を問わず活動を行った。
 今年の八月七日、クルディーニョ・デ・ソウザ市議の協力をえて、ジウベルト・カサビ市長を迎えて市議会で名前の変更が承認された。
 地域紙「RAPIDIX」に取り上げられ、すでに公園周りの標識も「ラルゴ・ド・ジャポネス」と変更済み。地下鉄サンターナ駅からのバスにも明記されている。
 「せっかく名前も変わったんだし、きれいにしときたいでしょ」。八月末と今月十五日に同地の文協、倫理の会、ラジオ体操の会、近隣の日本人会が集まり、公園内と周辺の道路の清掃を行った。
 五十人ほどが八つのチームに分かれて掃除する。公園に集まる人にも清掃活動への理解を求める。「これからも定期的にやっていこう」と打ち合わせして掃除が終わった。ゴミだらけだった公園は見違えるようにきれいになり、名前に恥じない憩いの場となった。