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注目集めたトミさんの訃報=日伯メディア大きく報道=3百人超が葬儀に出席

2006年10月14日付け

 第一回笠戸丸移民の唯一の生存者、中川トミさん(享年百歳)が十一日に亡くなった件は、NHKなどの大手マスコミはじめ各地方紙、伯字紙など合わせて約二十紙以上(グーグル検索)が扱うなど大きな反響を呼んだ。十二日にロンドリーナ市の西本願寺で営まれた告別式には、ブラジル各地に暮らす親族をはじめ三百人以上が出席してトミさんを見送った。在伯日本大使館からも弔意のメッセージが寄せられるなど、故人の存在の大きさをうかがわせた。
 トミさんの訃報は、「最後の初代移民が死去」「笠戸丸でブラジルへ、第一回移民の中川トミさん死去」など見出しで十二日付けの日本の各紙に踊った。
 インターネットのグーグル検索によれば、少なくとも全国メディアとしてはNHK、読売新聞などが報道。さらに共同通信や時事通信の配信記事を掲載した地方紙は北海道新聞、四国新聞、福島民友新聞、河北新報、熊本日日新聞、徳島新聞、静岡新聞、神戸新聞、佐賀新聞、東京新聞、東奥日報、中国新聞、秋田魁新報、西日本新聞、日刊県民福井と十五紙にのぼる。
 伯字紙も地元紙フォーリャ・デ・ロンドリーナ、全国紙エスタード紙も報じるなど、日伯両国でその訃報が流れた。
 エスタード紙の記事は総合面に、紙面の約四分の一を割いて写真付きで掲載された。その生涯を振り返り、日本へ帰国した親姉妹の話まで言及し、山崎千津薫監督の映画『ガイジン2』のモデルとなったと紹介した。
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 トミさんの告別式は十二日午前九時からロンドリーナ市内の西本願寺で執り行われた。
 長男の渡さん(75)によれば、記帳した人だけでも弔問客は三百人以上に上ったという。西森ルイス・パラナ州議や、ロンドリーナ市長の代理なども出席したほか、在ブラジル日本国大使館、在クリチーバ総領事館など在伯公館から弔意のメッセージが寄せられた。同日にはまた、潮谷義子・熊本県知事ほか、熊本市長、移住家族会などからも弔電が届いた。
 告別式は仏式で執り行われ、西森州議や、ロンドリーナ文化体育協会(ACEL)の平間靖旺評議員会長、汎ロンドリーナ熊本県人会の中川芳則会長などが弔辞を述べた。
 七人の子どもを育てたトミさん。孫、ひ孫ともに三十人以上、玄孫は最近一人が生まれ三人になっていた。告別式にはブラジル各地に暮らす親戚が多数出席してトミさんを送った。
 予想以上の弔問客が訪れたため、予定時刻に遅れて午前十時半に出棺。市内のサン・ペードロ墓地に埋葬された。初七日のミサ等今後の予定については十三日時点では決まっていない。
 トミさんは、先月の終わりに体調を崩し二日間入院したが、その時には心臓は弱っているものの特別の異常は認められず、三十日に開かれた弟の光雄・トメさん夫妻の結婚六十五周年パーティにも元気な姿を見せていた。
 亡くなる前日の夜にも孫と遊び、歩行器を使いながら一人で歩くなど、元気な様子だったという。
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 トミさんの訃報に関する一部報道には「あと数日で百歳を迎えるところだった」という記述があった。というのも、親族らは十月十五日と認識していたが、クリチーバ総領事館への正式な在留届けでは十一日以前の日付になっていたため。
 一九六九年に刊行された『かさと丸より六十年』(在伯県人会連合会)の生存者名簿でも十月十五日誕生となっているが、五八年発行の『かさと丸』(日本移民五十年祭委員会)では同六日と記載されている。当時から両方の説があった。
 親族によれば、トミさん本人も十五日が誕生日だと話していたという。ちょうどその狭間で亡くなったため、混乱が生じた模様。
 ニッケイ新聞では同総領事館への届け出を尊重し、百歳とした。