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〃琉僑〃=日本との新しい関わり方=世界ウチナーンチュ大会が目指すもの《第5回》=3本柱で次世代育成=海外と県内の両側で

2006年10月7日付け

 【沖縄発】どこの県人会でも、一世が元気な間は郷土とのつながりは強い。ところが移住先国生まれの二世、三世の世代になると一気に弱まる。
 参加者の一世が回を追って高齢化し、減少する傾向が顕著なため、ネットワークを継続させるためには、次の世代を育てることが焦眉の急だ。沖縄では若者向けプロジェクトとして、海外向け、県内向け、次世代自身に考えてもらう事業の三本柱で進めている。
 世界ウチナーンチュ大会最初のイベントとなった今回のジュニアスタディツアー(少年研修旅行)は、今年六回目。世界一一カ国から三十四人(うち五人がブラジル)、県内三三人の子どもの計六七人が参加し、七月二十九日から八月八日まで行った。
 海外と県内の児童生徒が一緒になって沖縄の歴史、文化、自然などの体験学習をし、母県との絆を深めてもらう。それにより、次世代のネットワークを担う人材育成をするものだ。
 歴史学習として琉球王国時代の史跡巡りをしたり、文化学習として伝統工芸に触れたり、平和学習として南部戦跡、平和祈念資料館、平和の礎等を視察して平和の意味を考える。さらに社会学習として、代表的工業製品である泡盛や塩工場などを見学し、総合的に沖縄の現状を学ぶものだ。
 「とくにエイサーは毎日やってもらった。『感動した。向こうに帰っても続けたい』といってくれた子どももいた」と同大会事務局次長、照喜名一さんは成果を報告する。
 「次世代のウチナーンチュを育てる。沖縄とのつながりを深める」ことが事業の主軸だ。
 海外からの参加者が年々増加傾向にあるのに、県内在住者の関心は意外と盛り上がらない──と事務局では感じており、今年から地元公立校で「一校一国運動」を始めた。
 県内の小中高校の児童生徒が、海外のウチナーンチュとメール交換や贈り物、来県中の県系人から実際の話を聞くなどの活動を通して、移民の歴史や移住先の国についての見識を深める教育だ。
 「沖縄の将来を背負っていく子どもたちに、世界的な視野をもってほしいとの願いを込めて始められたものです」。照喜名さんは、この事業に込められた思いをそう代弁する。
 県内の七十校が参加しており、ブラジルを交流国に選んでいる小学校は六校、中学校は四校、高校は二校もある。ブラジル移民の歴史が学校教育で教えられている。さらに大会当日には、ブラジルから訪ねる四百五十人が手分けして訪れ、直接交流する。
 今回新しく始めたものに、「ウチナーンチュネットワークをどう広げていくか」というプロジェクトを世界の若者から募集した「プロジェクト・エスペランサ」(希望計画)がある。
 ブラジルからの二件を含め、全部で三十七件の応募があった。
 優秀な五人を選んで今大会に招待し発表してもらい、そこで最優秀賞に選ばれた人には百万円を賞金として贈り、それを原資として実際にその計画を遂行してもらおうというものだ。
 照喜名さんはこの事業を始めた動機として、「検討や会議ばっかりやっていてもしょうがないと考えた」という。次世代の若者自身に考えてもらい、行動する──そんな段階にいるのだと考えている。
 本土出身で沖縄に移住した平井雅さん(40)は九五年の第二回大会に参加して魅せられ、主催する側に回った。今回はコーディネイターの重責を担う。「海外からのみなさんは熱い想いを抱いて来られ、それぞれにアイデンティティの確認をされているようです」。近年、たくさんの日本人が沖縄に魅力を感じ、移住している。
 世界の県系人だけでなく、本土の若者も次世代に加わりつつある。斬新な試みが行われ、国際化時代において非常に貴重なノウハウを集めつつある。
(つづく、深沢正雪記者)

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