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身近なアマゾン(7)――真の理解のために=インディオの種族滅びたら=言葉も自動的に消滅?

2006年10月5日付け

 □インディオの言語について(1)□
 前回は、アマゾン河上流に住むインディオたちが直面している問題、ガリンペイロの河川汚染と材木業者の盗伐の二点について報告した。
 マット・グロッソ、ロンドニア採集旅行のとき、現地ガソリンスタンドで、彼ら(インデイオ)から教えてもらった「インディオの言葉」について説明したいと思う。
 アンデス・インディオの言語は、一四九二年のコロンブスのアメリカ大陸発見以降、征服者(コンキスタドール)と呼ばれる南米に進出したヨーロッパ人によって、焼却または破壊されて、現在のところ、確固とした文字は残っていないようだ。
 ブラジル領域(アンデスから降りた平地)に居住するインディオの言語については、日本のアイヌ語と同じく伝達する文字が現存していないようで、もし彼らの種族が滅びると、彼らが使っている言語も自動的に消滅する、と考えられる。
 最近では多数存在するインディオの言葉の代表的なものが、日本のアイヌ語同様、篤志家が現れて辞書的書物の編纂刊行が始まっている。
 代表的なトゥピー・グァラニー語についての簡易辞書は存在しているようである。しかし、そのトゥピー・グァラニー語以外の雑多に存在する言語については、種族の数だけ、その言語が存在している、と言われていて、非常に難しい。
 今回の講師は、例のインディオと白人の混血であるムラートの青年、ジョン・ネルソン・オネゾカイ君およびジョゼジーニョ・オネズカナイ君である。
 それぞれファーストネーム、セカンドネームがブラジル名で、ファミリーネームの部分がインディオの名前になっている。
 ここで断っておかねばならないが、インディオの本来の名前は、氏名と姓名の区別がないそうで、日本でも明治以前は庶民に名字は許されなかった、と同じである。そうすると彼らは、アズマズカイ、オネゾカイ、オネズカナイが彼らの本来の本名だ。数人から数十人、せいぜい多くて数百人程度の居留地集落では、名字まで必要ないのかもしれない。
 〔ブラジル化する〕ということの意味を考えてみる。狭い意味でのブラジル化、というのでなく、日本人が海外に出て、その他の文化を受け入れるということがどういうことなのか、その第一歩が、その居住地域に違和感のない名前を取り入れること、から始まるのかもしれないと思う。
 筆者自身がブラジルへの日本移民であるせいか、異国に移住してきて、その文化に馴染む、ということは、即その文化を取り入れる、ということになるのではないか、と考えている。言葉が喋れる、ということと文化を理解している、ということでは、全くレベルの違った段階だ、と筆者は考えている。
 最近では日本全国に分散して入って、その地方の方言まで会得している外国人が増えている。彼らの言語力、文化の理解度をみると、日本で育った日本人以上の力を持っている人達が現れている。
 そういう事実を考えたとき〔いったい人種とか文化とかいったものは何なんだろうか〕と考えてしまうことがある。
 昔の人ではラフカディオ・ハーン、日本名小泉八雲、最近ではライシャワー氏という日本大使を長年勤めたアメリカ人、現在ではテレビで活躍しているヘンな外国の人達、彼らはれっきとした日本人、いやそれ以上に日本を理解した日本人達ではないかと思う。しかし、そのレベルに達するまでには沢山の時間と、非常な個人努力を必要としたと思う。普通の人間にはとても難しいことだ。
 それならもっと簡単に、外国の文化になじむ方法はないものかと考えてみると〔形から入ってゆく〕という方法が最も手っ取り早いかもしれない。その第一歩が、その地に違和感のない名前を取り入れることから始まるのかもしれない。つづく (松栄孝)

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