□未開インディオに残された道(1)□
今回は、アマゾン源流採集旅行で出会ったインディオたちの話である。
マット・グロッソ州(ブラジル中央高原地方の州)を抜けて、ロンドニア州(ブラジルとボリビアとの国境を接している州)に入って、しばらく走った州付近で、偶然入ったガソリンスタンドであった話。
そのガソリンスタンドで、カブトムシの大発生に遭遇した。こんな経験はメッタにない。その日が偶然、娘の誕生日だったので忘れられないのだが。
日本でも地方によって、夏の一夜に、このようなカブトムシの乱舞するのを経験した人もいるだろう。
アマゾン盆地、マデイラ川支流流域の最上流部に位置するこのガソリンスタンドで、深夜を照らす強力な蛍光灯に飛来する無数のカブトムシを、助手として連れてきたエドワルド君に手伝ってもらって、一匹ずつバケツに放り込んで採集して回った。
給油所の従業員や、行き交う大型トラックの運転手たちの目には〔おかしなジャポネース(日本人)が、こんな所で虫取りなんか始めたわい〕という表情が感じられた。
しばらく二人でゴソゴソしていると、そこに東洋系の顔をした四人の青年が現れた。その四人が、筆者のカブトムシ拾いを手伝ってくれ始めた。彼らは、そのスタンドの近所に住む先住民インディオたちで、もちろん、ちゃんと服を着ているし、ブラジル語もペラペラ話す。
その中に中心的な青年がいて、白人とインディオの混血、ムラート(白人とインディオの混血男をムラートと呼び、女はムラータと呼ぶ)だった。
筆者が日本人と分かってから、インディオも同じモンゴリアンということなのか、親しみがわいたのだろう、彼らはいろいろと話してくれた。
筆者にとっても、彼らの顔が東洋系だったためか、ヨーロッパ系のブラジル人とは違った〔仲間意識〕とでも説明したらいいのか、そんな心境になっていた。彼らの顔を見ているだけで、筆者には全然違和感がなかった。
しかし、少数民族ゆえの、滅び行く民族を象徴しているのか、どこか寂しくも悲しげな表情をしているように思える。彼らは、そこのガソリンスタンドのうらやまを三十八キロ奥に入った居留所から、自転車に乗って、こうして商売に出て来るのだそうだ。
ところで、九三年は〔国際先住民年〕なのだそうだ。先住民とはいったいどんな人達なのか、というと、その字の示す通り、先にその地に住んでいた人達のことなのだろう。
言い換えれば、ヨーロッパを中心とする西洋文明人が、一五〇〇年代から、彼らの思想、信条(宗教)の普及のために、世界中に進出(本当は物産の略奪が目的だった)して、虐殺したり、追い払ったりした、その犠牲になった人々の総称なのだ。
アメリカインディアンや南米のインディオ、オーストラリアのアボリジニ、アラスカ地方のイヌイットなど、またヨーロッパ人達が奴隷狩りをやったアフリカの黒人なども、それら先住民の代表といえる。
日本人もヨーロッパ人によって、危うくその被支配の道を歩むところを、維新の偉人や富国強兵政策によって、なんとかまぬがれている歴史があることは、承知だろう。本当のところは、戦国時代にすでに鉄砲を製造していたことと、武士道というヨーロッパ人からみれば、怖い思想があったからかもしれないが。つづく (松栄孝)
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2006年9月27日付け