ホーム | 日系社会ニュース | 日本移民の「あしあと」残す=百周年記念協会=戦前移民18万をローマ字化=次世代がルーツ知る基盤に

日本移民の「あしあと」残す=百周年記念協会=戦前移民18万をローマ字化=次世代がルーツ知る基盤に

2006年9月19日付け

 日系人がルーツを知る基盤に――。ブラジル日本移民百周年記念協会の「あしあと委員会」(島袋レダ委員長)が昨年八月から取り組んできたブラジル日本移民資料館所蔵の戦前移民名簿のローマ字化がほぼ終了、同協会会議室で十五日午後三時から、慰霊法要とボランティアに対し、慰労会が行われ、関係者約五十人が出席した。これからデジタル化が進められ、ブラジル日本移民史料館に保管される。島袋委員長は、「日系人がルーツを知るための記録を残す感動できる仕事だった」と話し、作業に携わった百二十五人のボランティアに感謝の言葉を述べた。
 今回ローマ字化したのは、氏名のほか、日本出国、ブラジル入国の日付、出身地、家族構成、生年月日、配耕先などで、一九〇八年の笠戸丸移民から四一年までの約十八万八千人分の戦前移民名簿。毎週金曜日に作業を進め、最初は十八人だったボランティアの総数は約一年間で百二十五人にのぼった。
 五十四の移民船名簿をローマ字化した中野文雄さんは、「自分もまだ世の中に役立つ力があったか、と闘志が湧き、昼も夜もやった。全身全霊で取り組んだ」と笑顔を見せ、手書きで書かれた名前の判読が大変だった、と振り返る。
 ボランティアには六、七十代を中心にした多くの一世が協力、モジ、リンス、イタリリなどサンパウロ市以外からの参加もあった。
 最高齢は、故花城清安氏の妻、淑子さん(98)。今回、「移民の母(Mae de Imigrante)」として表彰、出席した百周年協会の上原幸啓理事長に対し、「ブラジル、日本のため協働一致して、頑張って欲しい」とメッセージを送った。
 島袋委員長は、「いくつもの読み方がある漢字をローマ字に翻訳する作業は一世の協力なしには出来なかった」と話し、ローマ字で記録されている移民博物館所蔵の名簿と今回のものを照会後、デジタル化する考えだ。
 大井セリア館長によれば、(史料館には)アマゾン移民の名簿はないことから、全ての戦前移民を網羅したものとはならないようだが、「これから自分のルーツを知るうえでとても意味のある仕事だった」と評価する。
 現在も月に数件は、家族の移住の経緯について問い合わせがあり、「もっと増えてくると思う」と将来、資料価値はさらに高まると見る。
 慰霊祭は仏式で執り行われ、現在の日系社会の礎となった戦前移民の遺徳を偲んだ。続いて、ボランティアに対し、感謝状と記念品が贈られた。
 「渡伯同胞送別の歌」「ふるさと」が歌われ、カクテルパーティーが行われた。出席者たちは、約一年間の作業を振り返り、お互いにその労をねぎらっていた。