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第2の人生=ブラジルで始まる=看護士のベテラン=シニア生島さん「ポ語覚えたい」=大阪の病院定年退職して応募

ニッケイ新聞 2006年8月16日付け

 「看護士としての二十五年の経験を生かしたい」――。そう語るのは、七月から介護支援専門員としてサンパウロ日伯援護協会に赴任しているJICA(国際協力機構)シニアボランティアの生島茂子さんだ。初めての土地、全く違う生活環境―ブラジルの日系社会に飛び込んだ現在の心境、今後の目標などを聞いた。
 生島さんは昨年、長年務めた大阪の病院を定年退職した。二十五年の間に整形外科、内科、精神科、手術室など病院内の科をほとんど担当してきたベテラン看護士だ。
 「今なら何でもできるんじゃないか」。ボランティア(JICA派遣シニア)の動機は、先輩看護士が同ボランティアに応募したのがきっかけだった。「それで初めてこのボランティアについて知りました」。娘も結婚、孫も二人生まれ、第二の人生に向けて何かを始めるいいタイミングだった。
 「ブラジルに来るまで日系社会のことは、ほとんど知らなかった」。ブラジルに日系人がいることは聞いていたが、率直な感想は「地球の反対側にこんなに日本人がいるとは思わなかった」と苦笑いだ。
 目下の悩みはポルトガル語。赴任一カ月の今、一世以外とのコミュニケーションが特に難しいという。現在所属している福祉部の職員も、ほとんどが二世だ。「まわりはポルトガル語が基本。日本語で話しても、すこし私たちと違う感覚ですね」。今後は少しずつポルトガル語を覚えていきたいという。
 現在は、援協の福祉部に所属しながら関連施設を視察する日々。当面の目標は、前任者がやってきたことを継続すること。そして看護士としての経験を活かして、積極的に身体介護にあたることだ。
 最後にボランティア終了後の目標を聞いてみると「日本に帰ったら必ず仕事はします。その時はブラジル日系社会で学んだ経験をいかして、是非デカセギの人たちの役に立ちたい」と返ってきた。生島さんの第二の人生はブラジルで始まったばかりだ。