「『育種』とはその場に合わせてやるもの――」。日本人が各々のこだわりをもって語る食品「米」(コメ)。ピラシカーバ在住の安藤晃彦さん(73)は、稲の品種改良に四十年以上尽力。昨年夏に、安藤さんの名を冠した新品種「ANDOSAN」がブラジル稲学会で発表された。放射線育種の専門家に、自身の研究について、そして育種についての話を聞いた。
「品種改良は『掛け合せ』と『選抜』で行う。この二つは変わらない。ただ、放射線の利用はこれまでのやり方にオプションとしての新しい方法が増えたということ」。
安藤さんは一九五九年に来伯。六〇年からサンパウロ大学ピラシカーバ校(農大)で、専ら放射線を利用した突然変異の誘発による新品種育成に携わってきた。
既報のように、昨年八月には学会からその功績を表彰され、今年四月には、福井県から「コシヒカリ国際賞」を受賞している。
放射線を利用した突然変異の誘発とは、「もとからある遺伝子に放射線をあてて変化させる手法」。「もとにはない遺伝子を組み入れる」遺伝子組み替えとは異なる。
耐病性、早熟性、多収性、倒れにくさや皮のむきやすさなど、いくつかの特徴の中から二~三点の性質改善を目指し、放射線をあてる。
「遺伝子は長年かけ、安定して並んでいる。放射線はそれをグチャグチャにしてしまう。だから、悪いものができる可能性がずっと高い」。
遺伝子には反応しやすいものと、しにくいものがあり、放射線照射後の変化が異なる。それが突然変異につながり、その後も親種と掛け合せをするなどして改良を行う。
「基礎を押さえた上で、それを農場へ持っていくんです」。
「育種は途切れたら終り」と安藤さん。選抜は、その過程で病気や不慮の事故、研究継続者の欠如などにより続かなくなってしまうことが多い。
新品種「ANDOSAN」の選抜には、十一年がかけられた。フィリピンからの良種をさらに改良し、サンタカタリーナ州農業試験場の研究グループと共同で育成。現在、種もみの販売を行っているという。
ブラジルにおける稲は、十六世紀に西洋人が栽培用を持ち込んだと思われるが、それ以前に野生稲があったのかは不明。
食用のための栽培が始まったのは十八世紀ごろというから、ブラジル人が米を食するようになったのは、ここ二、三百年こと。それ以前はマンジョッカが主食だった。
東洋人の好む「粘る米」は、主にブラジル人によって改良されてきた経緯がある。「東洋人向けの米は『確実に』、そして『高く』売れるから」。
ブラジルで日本のような米が作れるのかだろうか。「日本のコシヒカリは本当に繊細な種。ブラジルで同じものはできっこない。第一、水と土が違うからね。導入育種もあるけれど、同じものはできにくい」。
六八年、サンパウロ大学農業原子力センターの創立に協力参加。〇二年に安藤さんの名を冠した放射線育種研究室ができた。ピラシカーバのキャンパス内には「安藤広場」が造られ、カフェのひとときを過ごすことができる。
「これまでやってきたことが認められて、うれしい」。現在はアマゾンに百ヘクタールの土地を購入。森林乱伐の現状を目の当たりにして役にたつことをしたいと、動植物、原生林の維持繁栄に力を注いでいる。
ブラジルで「稲」改良=安藤さん、放射線育種=「日本と同じものできぬ」=『ANDOSAN』選抜に11年
2006年8月4日付け