2006年7月12日(水)
【ヴェージャ誌一九六三号】サンパウロ大学(USP)哲学科のシルヴィア・C・フランコ教授は過去四十年間、いつも時代の波に逆らって生きてきたという。軍政時代は地下組織に参加し、教授時代は諜報機関から送り込まれた生徒に監視された。一九六九年、著書「軍政時代の自由人」を上梓し、マルキシズムを批判した。現在は教授として日和見主義者に警鐘を鳴らし、政治活動では党や有識者、特に左翼主義者に辛辣な意見を述べる反骨漢である。結論として、ブラジルの政治家ほど頼りないものはないという。
次は同教授との一問一答である。
【PT政権は告発攻勢に抗しながら、ルーラ人気が好調なのは何故か】第一に大衆の支持に重心を置き、公的資金を支持基盤にバラまいたことが受けたもの。第二にルーラ大統領は告発攻勢の生き残りである。カリスマと権力を両有すると、人間は周囲に真空地帯を創り出すもの。
生死を共にした刎頚の友を失い、身辺に危機が迫っても窮地を脱した。裏金疑惑に始まり閣僚の辞任や汚職による同志の失脚で何度も大統領弾劾の危機が迫っても、詭弁や言い訳をしてくぐり抜けた。ある時は裏切られたといい、また知らなかったととぼけた。
大統領は最後まで同志をかばい、かばいきれないときに止むを得ず辞表を受理した。ジルセウ氏にせよパロッシ氏にせよ、ワンマンの採る政治スタイルである。ルーラ大統領は、最高権力を保持するため孤独にならざるを得ない。孤独感は政治だけではなく、人間関係や友情関係、信頼関係などからの孤独だ。
【ルーラ大統領の政治家としての人間的特徴は】ルーラ現象は、大統領の立ち回りがもたらす人間的特徴といえる。大統領はチャンスを捉え、その方向に進む機智がある。労組リーダー時代には別の機智があった。現在は立場が異なり、大統領の機智が働いている。立場の変化とともに大統領自身が資本主義社会のリーダーに変身した。いつまでも工場労働者のリーダーではない。
巧みな変身は、過去にこだわってはできない。過去の実績と未来の境遇は、意識しないもの。ルーラ大統領は、労組時代から有産階級や経営者への取り入りが上手だった。労働者を叱咤するルーラと、労使交渉に臨むルーラは別人だ。それがハッキリ判別できたのは、労組リーダーを選挙するときの支持票の取り付け方であった。表決となるとルーラは表情から体の動かし方まで変貌した。大統領が変わらないのは、間違いだらけの文法と下手くそなポルトガル語だけ。
【大統領演説は人心掌握に役立っているか】人心を掌握しているのは、演説ではなく人柄である。ポ語は聞いていられないほど下手。勉強する時間は十分あったが、勉強をしなかった。下手なポ語は機転と人を煙にまくことで補った。美しいポ語よりも、一目置かれる人格が必要だ。それがないと、美しいポ語は言葉のアソビになる。
【野党の中途半端な告発攻勢と大統領選への影響は】CPI(議会調査委員会)の追跡には、大統領弾劾のチャンスが何度もあったのに生かさなかった。ルーラ大統領の選挙資金が、外国に違法送金してあったことが発見された。これは弾劾に価する重大事であるが、何も起きなかった。それは野党にも後ろ暗いところがあるからだ。ヴィルジーリオ上議が攻撃を始めるが、翌日は尻つぼみである。
これまで決め手になるものがないのは、野党もやぶ蛇になることを恐れ、大胆なことができなかったのだ。その点では与党も野党も同罪である。スネに傷がある者同士は他人を余り責めない。盗人根性みたいなものといえそうだ。
【ルーラとアウキミンの独断主義について】ルーラ大統領が貧乏人は正直で素直だと口癖のようにいう。政治家が何をしても、貧乏人は抗議しない。国民がみんな貧乏人の方が、政治を採り易い。アウキミン氏の独断志向は、ブラジル民主社会党(PSDB)の公認を決めるとき「私をすぐ公認にしろ」とこねたダダが表している。党内はアウキミン氏では勝てないと、悲観的雰囲気で沈滞していたのだ。アウキミン氏では負け戦と知りながら、PT左翼の知識階級をヤリ玉に揚げるため、大統領候補に指名したらしい。