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コラム 樹海

 ヒトは200歳までは大丈夫―の俗説があるけれども、これは極めて難しい。上野の寛永寺を創建した天海僧都は107歳の長寿だったが、150数歳の伝説もあって今も語り種になっている。長く生きたいと願うのは誰しも同じながら秦の始皇帝も蓬莱山の薬草を求めて徐福を派遣したのに残念ながら49歳でこの世を去り黄泉へと旅立っている▼それでも、世は高齢者社会であり日本では、100歳を超えるお年寄りが2万5千人を突破した。それも、溌剌たるご老人が多い。徳島市の「お鯉さん」(多田小餘綾さん)は「阿波よしのこ節」の名手として知られる。このお婆ちゃんが「CDを出したい」と懸命だそうな。只今、99歳である。もう1人も徳島の人。こちらは赤井イヨさんで104歳。それが大腸ガンになってしまったのだが、担当の医師が手術に踏み切り見事に成功。イネ婆ちゃんも元気モリモリである▼医術が進歩したとは云うけれども、100歳超の患者から腸を20センチも取り去るのは珍しい。イネさんは「これからもおいしいものが食べられ嬉しい」と喜んでいるらしい。勿論、コロニアにも凛然たるお爺さんとお婆ちゃんはいる。バストスの本田たね子サンは、卒寿とまだまだお若いが俳句を好み「お蚕を上げて吾娘の嫁入り支度する」が俳誌で取り上げられたと祝賀会を開き賑やかに語り合う▼サンパウロ市アクリマンソンには107歳の浅見重平さんがいる。朝は近くの公園を散歩するのが日課で若い人が握手を求めてくるそうな。そんな100歳超がコロニアには69人もいる。これは真に喜ばしく「バンザーイ」である。(遯)

06/07/04