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メンサロン=ジルセウが自宅軟禁に=刑執行から1年未満で=当初は11年超の判決も=減刑が次々と重なり

 メンサロン事件の主犯として実刑判決を受けた元官房長官のジョゼ・ジルセウ氏(労働者党・PT)が4日、刑執行から1年足らずで刑務所での服役から自宅軟禁に切り替わった。同氏は12年の公判で11年弱の実刑判決を受けたが、13年の再審で罪が軽減され、昼間の労働も認められていた。5日付伯字紙が報じている。

 ジルセウ氏や元PT党首のジョゼ・ジェノイーノ氏、元下院議長のジョアン・パウロ・クーニャ氏(PT)をはじめ、連立与党の大物政治家がブラジル史上はじめて実刑判決を受けたことで、12年8~12月のメンサロン事件公判は画期的なものとして注目を集めていた。
 12年の裁判でジルセウ氏が受けた判決は10年と10カ月だった。この判決だと、昼間外出(セミ・アベルト)が認められる8年を超えており、外出は一切認められないはずだった。
 だが、「判事投票で5対4の票には上告が認められる」ため、ジルセウ氏は13年8月に「組織的犯罪」での減刑を求めて上告した。上告中はその罪状に関する刑の執行は停止されるため、13年11月15日に、約3年を差し引いた7年11カ月の刑期の囚人としてブラジリアの刑務所で服役しはじめた。14年2月には「組織的犯罪」は免罪となった。
 14年6月には、ブラジリアの弁護士ジョゼ・ジェラルド・グロッシ氏の書斎での労働許可を求める最高裁裁判でも勝訴し、労働をはじめることとなった。メンサロン裁判で報告官としてジルセウ氏を厳しく裁いたジョアキン・バルボーザ前最高裁長官は1カ月前に辞任を発表しており、この裁判にも欠席した。
 ジルセウ氏は7月3日から勤務を開始。昼はグロッシ氏の事務所で働き夜は刑務所に戻るという生活を続けていたが、先週、最高裁のルイス・ロベルト・バローゾ判事が減刑を認め、自宅軟禁を意味するアベルトに切り替わった。これは、受刑期間の6分の1の履行が認められたためだ。本来ならこの切り替えは15年3月のはずだったが、ジルセウ氏は労働許可を得て働いたことで142日間減刑され、4日から自宅軟禁となった。
 刑務所生活最終日の4日朝7時30分、ジルセウ氏はブラジリアの刑務所を出てグロッシ氏の事務所に向かった。同氏は刑務所の前で報道陣に囲まれ、風刺的お笑い番組「CQC」のコメディアンが現金を手渡そうとする皮肉行為に怒る一幕もあった。午後一番で刑執行裁判所へ向かい、出所許可を得た。
 メンサロン事件の実刑囚で自宅軟禁となったのは6人目で、クーニャ氏なども同様の処分を受けることが予想される。自宅軟禁者には夜9時~朝5時は自宅にいることや2カ月に1度の裁判所出頭などが義務付けられ、他の受刑者に会うことやバールなどへの立ち入りなどが禁じられる。
 バルボーザ前最高裁長官は、メンサロン上告裁判後、「(12年の裁判時にいなかった)2人の判事の加入以降、裁判が明らかにPTよりになった」と批判していた。