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戦前最後の移民船――『ぶえのすあいれす』――縁の人たち懇親会=8月12日

2006年6月30日(金)

 戦前、ブラジルへ最後の移民を乗せて来た船『ぶえのすあいれす丸』に縁のある人たちの懇親会が、来る八月十二日正午から、サンパウロ市内「なんでもや」(アメリコ・デ・カンポス街9)で行われる。この日は、同船がサントスに着いた日(一九四一年八月十二日)の六十五周年記念日。
 懇親会の世話人は森広雅夫さん(もりひろまさお、75、サンパウロ市ブタンタン在住)。森広さんは当時十歳だった。日本海軍の真珠湾奇襲の四カ月前、連合国側との関係は緊迫していた。特に米国の日本船、日本人に対する警戒は厳しく、パナマ運河航行はできなかった。したがって、船は通常の航路をはずして波の荒いマゼラン海峡を通過しなければならなかった。森広さんは、移民のそれぞれの家族の家長たちが、高級船員たちと深刻な表情で話し合っていた、と記憶している。
 一昨年、初めての同航者懇親会を開いたあと、森広さんは『ぶえのすあいれす丸』に縁の人たちから、声をかけられるようになった。マゼラン海峡を通過する際、「海峡を通過する歌」がつくられたが、それを歌ってみせた、森広さんより年長の人にも会ったという。
 八月の懇親会には、『ぶえのすあいれす丸』で移住して来た人、同船に乗って戦前、最後の(日本への)帰国をした人にも集まってもらって、懐古話をしたいといっている。とくに、出欠の事前連絡などは受け付けない。
 森広さんの父親登さんは今年百歳で元気、兄・秀夫さんは七十七歳。今回も三人で出席するといっている。