2006年6月28日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二十七日】サンパウロ州保安局は十五日間にわたる盗聴の結果、州都第一コマンド(PCC)によるサンベルナルド・ド・カンポ拘置所の正門爆破計画を突き止め、二十六日未明、軍警七十人が先制攻撃を掛けた。双方は銃撃戦の末、PCCメンバーとされる容疑者十三人を射殺、五人は負傷、四人は逃走した。PCCの計画では、同拘置所の職員十五人の内五人を殺害する予定であった。他にもサッカーW杯の日本対ブラジル戦が行われた二十二日、試合の最中に刑務所を襲撃する計画があったが、未然に防いだ経緯がある。
今回は軍警が先手を撃ったようだ。盗聴とPCCに潜伏している諜報員からの連絡で、計画を事前に察知した。拘置所襲撃にはPCCメンバー二十二人と女性らが参加した。襲撃計画が筒抜けであったことで、PCCは度肝を抜かれたらしい。
奇襲作戦はサンベルナルドとジアデーマの二カ所。居合わせたPCCメンバー十人と三人をそれぞれ射殺した。軍警は一人が負傷。保安当局は、拘束中のPCC最高幹部からの拘置所襲撃命令を受信し、事件が十日以内に起きることを知っていた。当局は奇襲攻撃を五月から始まった一連のPCC戦争の一環だとしている。
ABC地区の拘置所は二十日、襲撃に備えて警戒態勢が敷かれた。保安当局は、襲撃に参加するPCCメンバーの隠れ家と使用する武器や弾丸の隠し場所を探っていた。ABC地区にある拘置所四カ所の下見は、メンバーの妻たちが担当した。拘置所職員の巡回システムや経路、時間を偵察していた。
PCCはひんぱんに作戦会議を開いて、各メンバーの担当と役割を打ち合わせていた。携帯電話でリーダーの司令にいつでも応答できるように臨戦態勢を命じられた。携帯電話には、秘密センターから航空写真も送られてきた。
PCCは作戦開始のため二十六日未明、サンベルナルド・ド・カンポ拘置所から六〇〇メートル離れたサムエル・アイゼンベルグ街のアジトへ集合した。メンバーの一人は、八時までに帰宅しなかったら死んだものとして今生の別れまで交わしている。
軍警部隊に包囲されているとは知らずメンバーらは午前三時、アジトへ向かった。女性四人を含む一味は五時三十分、六台の乗用車とトラックに分乗し出発。拘置所近くのガソリン・ポストとバス停、正門前に女性の車が停車。職員の交代時間の六時を待った。職員交代の様子は、見張りの女性から遂次電話で連絡した。軍警部隊がその時、一斉に発砲した。
サンパウロ州検察局は、十三人の遺体について撃ち合いか処刑か殺害の状況を調べる。PCC事件では、五月十二日から既に一二三人が死んだ。検死によれば、七〇%の死体は無抵抗で、頭部貫通か地面に横たわった状態で射殺されている。
刑務所職員の殺害計画は十六日、発覚した。PCC幹部を隔離したことから八カ所で、事件を起こす予定であった。まず手始めにABC地区が十日以内に第一波を敢行し、職員二十人から六十人を血祭りに上げる。この計画には、PCCの精鋭が選ばれた。