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サンセバスチョン日本人会50周年=記念式典に市長ら出席=感無量の創立会員=経済の活性化=市は日系に期待

2006年6月27日(火)

 【既報関連】サンセバスチョン日本人会(ポ語名=アトランチコ文化スポーツ協会、大沼ニュートン会長)の創立五十周年記念式典が二十五日午前九時すぎから、同会館であった。同市を始め、ウバツーバなどから招待・一般客合わせて、二百人以上が会場に足を運び、節目の年を祝った。地元紙が前日に一ページを割いて、同市の日系コロニアの歴史や式典予定などを紹介。当日には、ホアン・マノエル・ポンス・ガルシア市長やオノ・コウジ市議が訪れ、日系コロニアにかける期待の大きさをうかがわせた。
 式は午前と午後の二部構成。まずガルシア市長、創立者らがイッペーを敷地入り口付近に植樹した。続いて、創立五十周年の記念プラッカを除幕。
 創立会員の加治屋貞春さん(90、鹿児島県出身)、長井哲夫さん(86、福島県出身)、松山修倉さん(84、静岡県出身)が表彰された。
 戦後入植者の草分けの一人、加治屋さんは体調を崩して車いすの生活だ。創立五十周年と記された、横断幕をみて感激。
 「対岸のイーリャ・ベーラが桜島に似ているのが気に入って、土地を買った。こんな美しい町はほかにない」と話した。
 長井さんは「日本人会が半世紀を迎えるなんて、夢にも思わなかった。みんなに祝福されて幸せ」と喜色満面に語った。
 松山さんも健康状態が良くない。前日に輸血をして出席するくらい、日本人会への愛着を持っている。感慨深そうに、式を見守っていた。
 先没者慰霊法要が仏式で営まれ、高野山真言宗スザノ金剛寺の菅野信隆開教使が読経する中、参列者たちが焼香した。
 サンセバスチョンは日系・非日系を問わず、若者の都会流出が顕著。日系コロニアには、日本へのデカセギが拍車をかける。同市は、エタノールやガスの輸出を経済活性化のテコにしたい考え。
 ガルシア市長は「日系人は北部の開発に大変貢献があった。でも今は高齢化などで縮小しているんでしょう」と述べ、「エネルギー分野での投資を活発にし、町を出ていった若者を戻したい。優秀な日系人の力が必要だ」と期待を込めた。 大沼会長は「もうすぐ移民百周年になる。サンセバスチョンはデカセギなどの影響で会員が減った。みんなで力を合わせて、日本人会を盛り立てていきましょう」と呼びかけた。
 日本人会の主な活動はゲートボールだ。オノ市議は「ここはセントロから遠いといっても、海岸に面した場所。若者にも魅力のある活動を始められれば」と語っていた。
 会員・招待客に婦人会の手づくりによる、昼食が振舞われた後、一般向けのアトラクションがスタートした。響楽座による太鼓のショーやカラオケなどで盛り上がった。来伯中の中平マリ子さんも出演した。